齎《もたら》されることは疑ひありません。この本はあなたに生き方を、そして死に方を教へて呉《く》れませう。(中略)
それから私の死のことを申せば、愛しい妹よ、どうぞ私と同じやうによろこんで下さい。私は穢《けが》れを捨てて清浄を着るのですから。
(そして相当の長さに亘《わた》つて信教に関する力強い訓戒が語られ、最後は次の様に結んである)では、もう一度|左様《さよう》なら、愛しい妹よ、そして何卒《なにとぞ》あなたを救ふ唯一者、神にあなたの唯《ただ》一つの信仰を置くやうに。
アーメン。」
[#ここで字下げ終わり]
これを書き写しながら図らずも思ひ浮ぶのは、モンテエニュがその『随筆』のなかに引用した「哲学を学ぶは死することを学ぶに外《ほか》ならぬ」といふシセロの言葉である。モンテエニュは実に「死ぬことを学ぶ」ことに苦心した人であつた。「余が自らに就《つ》いて最も気掛りになつてゐるのは、余が美しく、即《すなわ》ち気長に騒がずに、悠揚として死にたいと云ふことだ」と言つてゐる。そしてジェイン・グレイは全くこの境に到達してはゐないだらうか。例へば前に挙げた手紙などは、処刑前夜の十七歳の一少女の手記
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