への物語はやはり古風な話し振りをせねばならぬので骨が折れる。が兎《と》に角《かく》、一五五一年、時の碩学《せきがく》ロウジャ・アスカムがブラッドゲイトの城にジェイン・グレイを訪ねて、その叡才《えいさい》に舌を捲《ま》いた折の情景は、僕《やつがれ》未だ彼自らの手に成る記録を読む機会を得ず、他人の抜書きしたのを一見したのに過ぎぬが、先《ま》づこの様なものだつたらうと想像する。なほジェインの話は続いて、その読書の道に入つた動機を滔々《とうとう》と述べ立ててゐるのだが、長くなるから割愛することにして、以下少しばかり智の権化《ごんげ》のやうなこの少女の上を振りかへつて見たい。
『倫敦《ロンドン》塔』のなかで漱石の言つた通り、「英国の歴史を読んだもので彼女の名を知らぬ者はあるまいし、又|其《そ》の薄命と無残の最後に同情の涙を濺《そそ》がぬ者はない」に違ひない。
しかし、ここに遺憾なことは、人々の興味がヘンリイ八世の小姪に当る高貴なその生れとか、数奇を極めた十七年の生涯とか、その美貌《びぼう》とかの方へ牽《ひ》かれがちなため、彼女の魂の美しさを物語る遺文がともすれば、好事家《こうずか》の賞玩《しょ
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