やぐら》のそそり立つ方形の城の中は、森閑《しんかん》として物音もない。絵のやうに霞《かす》むリスタアの風物のさなか、春の日ざしに眠つてゐる。
「長閑《のどか》なことよ。御一統には狩遊びと見ゆる」
と、出会ふた侍女にアスカムは声を和らげて問ふ。侍女は上眼づかひに「御館《みたち》に残らるるは上の姫様だけ」と答へる。「ジェイン様か、それは。」碩学の肉づきのいい額《ひたい》を、かすかに若皺《わかじわ》が寄る。身を飜《ひるがえ》して、日も射さねば仄暗《ほのぐら》い拱廊《きょうろう》をやや急ぎ足に渡つて行く。黒い影が、奥まつた急な階段をものの二丈ほど音もなく舞ひ昇つて、やがて上の姫の居間の閾《しきい》に立つた。丈の高い樫《かし》の椅子《いす》が、厳《いか》つい背をこちらへ向けて、掛けた人の姿はその蔭にかくれて見えぬ。雪のやうな裳《も》すそのみゆたかに床に這《は》ふ。
「姫!」と呼んだ。
 届かぬ沓《くつ》の爪先《つまさき》をやつと床に降して、ジェインは振り向く。二つに分けた亜麻《あま》色の垂髪《たれがみ》は、今年わづかに肩先を越えたばかり、それを揺《ゆす》つて澄みかへつた瞳を、師と呼べば呼べる人の
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