んまり阿漕だよ。」
「へっ、しゃら臭えや、この冬瓜の化けものめ!」と、セルゲイがフィオーナに食ってかかる。――「阿漕たあ、一体どっちのこった! 俺あ何も、そんなこと言われる覚えはねえや! もともとこんな女《あま》におっ惚れた俺でもあるめえしさ……とにかく今になっちゃあこんな赤禿げだらけの猫婆ァの面よか、ソネートカのぼろ靴下の方がよっぽど有難えや。ええどうだい、これに何か文句があるかい? 浮気がしたけりゃ、この口ん曲がりのゴルジューシカでも、せいぜい可愛がるがよかろうぜ。さもなけりゃ……(と彼は、袖無し外套にくるまって、徽章のついた軍帽をかぶっている乗馬の老いぼれ士官の方を顎でしゃくって見せ、ことばを続けた――)さもなきゃ、いっそあの護送さんにでもべたついたらよかろうぜ。あの外套にすっぽりくるんで貰や、雨にだけは濡れずに済もうというもんだ。」
「おまけにみんなが、仕官の奥さんと呼んでくれるだろうしね」と、ソネートカが鈴をふる。
「あたりめえよ!……それに靴下だっても、お茶の子さいさい手にはいるぜ」と、セルゲイが相槌をうつ。
 カテリーナ・リヴォーヴナはべつに言葉を返さなかった。彼女は相変らずじっと彼を見つめて、唇をふるわしていた。セルゲイの下卑た長広舌の合間合間に、彼女の耳には、かっと口をあいたりまた閉まったりする川浪のなかから、唸り声や呻き声がきこえてくるのだった。と突然、ざざーッと崩れかかった浪がしらの中から、ボリース・チモフェーイチ老人の蒼い顔が現われたかと思うと、つづく波間からは、うなだれたフェージャを抱きしめた良人のすがたが、ひょいと覗いてゆらゆらした。カテリーナ・リヴォーヴナは祈祷の文句を思いだそうとして唇を動かしたが、その唇はわれにもあらず、「お互い仲よく遊び※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りもしたし、秋の夜長をしんみり語り明かしたこともあるじゃねえか。むごい殺し方をして、身うちの誰かれをあの世にお送り申したこともあるじゃねえか」――と、ささやくのだった。
 カテリーナ・リヴォーヴナはわなわなと震えた。それまで定まらなかった彼女の眼ざしは、しだいに据わりはじめて、兇暴な色を帯びてきた。両の腕が一ぺん二へん、当てどもなく中有にさしのべられたが、またがくりと落ちた。また暫くすると――不意にその全身がふらつきだして、暗い波の面にじっと見入ったまま、前
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