い波を。前へ押したり後ろへ引いたりしている。
 全身ぬれ鼠になって、ふるえあがった囚人の一隊は、のろのろと渡し場にたどりついてそこで停止して渡し船を待った。
 これもずぶ濡れの黒い渡し船がやって来た。乗組員の案内で、囚人たちが乗りこみはじめる。
「なんでもこの渡し船にや、誰かヴォートカをこっそり売ってくれる奴がいるって話しだぜ」と、ある男囚が言いだしたのは、大きなぼた雪がさかんに降りかかる渡し船が岸をはなれて、そろそろ荒れだした河の面に立つうねりのまにまに、揺れはじめた頃だった。
「そうさな、さしずめこんな時こそ、ちょいと一杯やるなあ悪くあるめえな」とセルゲイは応じて、ソネートカの御機嫌とりに、カテリーナ・リヴォーヴナをいじめる手をゆるめず、――「どうだい、おかみさん、昔のよしみに免じて、一ぺえ買っちゃあ貰えまいかね。まあそう吝《しみ》ったれるなってことよ。昔やそれでも、おれの色じゃねえか。おたがい大あつあつだった頃にや、仲よく遊び※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りもしたし、秋の夜長をしんみり語り明かしたこともあるじゃねえか。お前さんの身うちの誰かれを、お寺さんの厄介にならずに、二人であの世へお送り申したこともある仲じゃねえか。」
 カテリーナ・リヴォーヴナは、寒くって全身がくがく震えていた。いや、びしょ濡れの着物をとおして骨までも沁みこむ寒さばかりでなくて、カテリーナ・リヴォーヴナの体内には、何かもっと別の現象までが起っていた。頭が燃えるようにかっかとしていた。瞳孔はひろがって、ぎらぎらする光をちらつかせながら、じいっと浪のうねりを見つめていた。
「ヴォートカはいいわね、あたいも御相伴したいわ。まったく、こう寒くっちゃやりきれない」と、ソネートカが鈴を振るような声を出した。([#ここから割り注]訳者註。ソネートは鈴の意[#ここで割り注終わり])
「ねえ、おかみさん。おごれよ、なんだい!」と、セルゲイが食いさがる。
「なんぼなんでも、そりゃ阿漕だよ!」とフィオーナが思わず口走って、咎めるように頭をふり立てた。
「あんまりやると男がさがるぜ」と、ゴルジューシカという少年囚が、兵隊の女房に助太刀をする。
「ほんとだよ。お前さんとこの人との相対《あいたい》ずくなら、何を言おうと勝手だろうがね、なんぼこの人だって少しや傍目《はため》というものがあろうじゃないか。あ
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