ーナもいる。ソネートカもいれば、カテリーナ・リヴォーヴナもいる。分離派信者が、ユダヤ人と一つ鎖につながっているかと思えば、ポーランド人とタタール人の二人三脚もある。
 みんな集合してしまうと、やがてどうにか隊伍らしいものを組んで、さて出発だ。
 ゆううつ極まる光景である。世間からはもぎ離され、前途に明るい望みの片影をすら抱くことのかなわぬ人間の一団が、どろ道の冷たい黒いぬかるみの中に、足をとられとられ動いて行くのだ。あたり一面、見るも怖ろしいほどのあさましさだ。涯しもないぬかるみ、灰色の空、濡れそぼった柿の裸木、そのひろがった枝々には羽根を逆だてた鴉のむれ。風がうめく、いきりたつ、かと思うと吼えたてる、わめいて過ぎる。
 聞くだけでもう魂がかきむしられる思いのするその地獄のような風音《かざおと》こそ、あたり一帯のむざんな光景に睛《ひとみ》を点ずるものなのだが、その音のなかからは、聖書にあるヨブの妻の忠告が響いてくるようだ、――『汝が生まれし日を呪いて死ねよ』と。
 この言葉に耳をかたむける気になれず、これほどの悲境に陥ってもなお死ぬという考えに心をそそられるどころか却って恐怖を感じるような人は、その吼えたける声を消すために、何かもっとおぞましいものに一生けんめい縋りつかなければなるまい。そうした事情を、単純な人間は実によく心得ているものだ。そこで彼らは、持前の素朴な野獣性を思うさま発揮して、馬鹿のかぎりをつくしだす自分を嘲弄し、他人を愚弄し、人情を冷笑する。それでなくても大して柔和な人間でもなかった彼らは、ここに至って二層倍も兇暴になるのだ。

       *        *        *

「どうですね、おかみさん? あい変らず奥方さまには、ご機嫌うるわしくいらせられますかい?」――そんな鉄面皮な挨拶をセルゲイがカテリーナ・リヴォーヴナに向ってしたのは、ゆうべ泊った村がびしょ濡れの丘のかげにだんだん隠れて、ついに囚人隊の眼界から没し去った頃だった。
 そう言うと、彼はくるりとソネートカの方へ向き直って、じぶんの外套の裾で彼女をくるんでやり、高らかな裏声でこんな歌をうたいだした。

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小窓のなかの 小暗いところで
  亜麻色あたまが ちらつくよ。
まだ起きてるね わが悩みの種
  眠られないのか にくいやつ。
裾ですっぽり くるんでやろ
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