聞いているが、これはそのうち是非《ぜひ》読んでみたいと思う。
だが差当りチェーホフのことに帰ろう。彼の思想的動向の要約という問題から一応離れて、問題を彼の短篇様式の発展ということに限るにしても、一体この隔離そのものが困難なのと同じ程度に、その発展の道にはっきりした道標を置くことは難かしい。仮りにあり来たりの仕方で、彼の作品を初期と後期に分け、そのあいだに隔ての網を張る。しかし魚はこの網をくぐって自由に交通するのだ。
ひと先《ま》ずこれを承知の上で、彼の初期の作品、略※[#二の字点、1−2−22]《ほぼ》一八八六、七年ごろまでの作品を眺めることは勿論《もちろん》可能であるが、そこには大して取り立てて言うほどのこともない。よく知られている如《ごと》く彼は純然たる衣食のために、完全に商業主義的に文を売ることから出発した。あらゆる他の大作家のデビューに見られるものが彼にはなく、逆に彼等に見られないものが彼にはあったということは悲惨な話である。哀しい近代性だ。彼は自己表白の欲望、つまりは青春をすっかり窒息させて置かなければならなかった。その一方商業的要求は、彼に専らユーモアの錬磨や、新鮮な修辞学やを強要した。
この約束の下で書かれた彼の作品は、僅少《きんしょう》のフウイトンをも含めて、一八八二年には三十二篇だったものが翌年には百二十篇、その翌々年には百二十九篇にのぼり、ついに二度目の、そして今度は結核性の喀血《かっけつ》を齎《もた》らすことになったのである。
それらの作品を通じて技法的に最も眼につくことは、彼がやり遂げた修辞学上の革新だ。彼はツルゲーネフの修辞学を見んごと覆《くつがえ》したのである。ここにはチェーホフの警敏さが見られる。それは最初は強制により次第に体得されて行った独自の簡潔主義から、必然的に生み出されたもので、著しい例は主として叙景の際に用いられる唐突な「嵌入法《かんにゅうほう》」である。それは時として突飛《とっぴ》な擬人法の挿入、時として客観的叙述の中へ作者の主観的抒情の挿入、また時として複雑な情景を簡明な一句で截断《せつだん》する形をとる。二、三の例。――
「星のきらめきは今までよりも弱まって、まるで月におびえでもしたように、その小《ささ》やかな光線を引っ込めてしまった。」(『奥様』第一章。一八八二年)
「大気は澄みきって、一ばん高い鐘楼《しょう
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