る時である。トルストイの憂愁は、宗教的な宿命観にもとづいている。そのなかにあって、ツルゲーネフのみが哲人《てつじん》である。……彼は人間を愛する。よしんばそれが、あまり感服できぬ人間で、たいして信用のおけぬ場合でも、やはり彼は人間を愛するのだ」
 つまり、ツルゲーネフの憂愁は、「哲人的な」憂愁であったということで、そこから、彼の一見ひややかにさえ見える詩的なリアリズムも、滅《ほろ》び交替《こうたい》しゆく者にたいする抒情的《じょじょうてき》な愛も、おのずから説明がつくわけです。そういう点から言うと、ツルゲーネフに最も近いロシア作家は、十九世紀末に現われたチェーホフであると言えるのですが、この比較《ひかく》は一応それとして、彼らの憂愁が一体どこに根ざし、どういうところから特異な形成を遂《と》げたかが、ここでは問題になるでしょう。
 チェーホフの場合は、一口に言って、その深い信条であった生物進化論に、説明の第一《だいいち》根拠《こんきょ》が見いだせるように私は思うのですが、ツルゲーネフの場合はどうでしょう。彼はもちろん医者でもなく、自然科学者でもなかったが、その思想的な立場から言えば、青年
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