「はつ恋」解説
神西清

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)憂愁《ゆうしゅう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三十五|歳《さい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ](一九五二年晩秋)
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 静かな深い憂愁《ゆうしゅう》が、ロシア十九世紀文学の特質を成していることは、今さら言うまでもなく周知の事実です。しかしその憂愁のあらわれは、それぞれの作家において、本質的にも色合いの上からも、微妙《びみょう》な差異を示しています。デンマークの文芸批評家ゲオルグ・ブランデスは、その点に触《ふ》れて、次のような簡明ではあるが味わいの深い評語を、のこしています。――「ツルゲーネフの悲哀《ひあい》は、その柔《やわ》らかみと悲劇性のすがたにおいて、本質的にスラヴ民族の憂愁であり、スラヴ民謡《みんよう》のあの憂愁に、じかにつながっている。……ゴーゴリの憂愁は、絶望に根ざしている。ドストエーフスキイが同じ感情を表白するのは、虐《しいた》げられた人々、とりわけ大いなる罪びとに対する同情の念が、彼《かれ》の胸にみなぎる時である。トルストイの憂愁は、宗教的な宿命観にもとづいている。そのなかにあって、ツルゲーネフのみが哲人《てつじん》である。……彼は人間を愛する。よしんばそれが、あまり感服できぬ人間で、たいして信用のおけぬ場合でも、やはり彼は人間を愛するのだ」
 つまり、ツルゲーネフの憂愁は、「哲人的な」憂愁であったということで、そこから、彼の一見ひややかにさえ見える詩的なリアリズムも、滅《ほろ》び交替《こうたい》しゆく者にたいする抒情的《じょじょうてき》な愛も、おのずから説明がつくわけです。そういう点から言うと、ツルゲーネフに最も近いロシア作家は、十九世紀末に現われたチェーホフであると言えるのですが、この比較《ひかく》は一応それとして、彼らの憂愁が一体どこに根ざし、どういうところから特異な形成を遂《と》げたかが、ここでは問題になるでしょう。
 チェーホフの場合は、一口に言って、その深い信条であった生物進化論に、説明の第一《だいいち》根拠《こんきょ》が見いだせるように私は思うのですが、ツルゲーネフの場合はどうでしょう。彼はもちろん医者でもなく、自然科学者でもなかったが、その思想的な立場から言えば、青年
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