時代から晩年に至るまで、終始かわらぬ西ヨーロッパ的知性の確固たる信奉者《しんぽうしゃ》――いわゆる西欧派《せいおうは》であったのです。彼はこの西欧派的な開かれた眼《め》をもって、ロシアの現実の蒙昧《もうまい》と暗愚《あんぐ》と暴圧とを、残る隈《くま》なく見きわめ見通し、そこに絶望と期待とが微妙に混り合った彼独特の詩的リアリズムの世界が展開されたのでした。
 こういうふうに眺《なが》めてくると、ツルゲーネフの憂愁なるものの性質も、またその憂愁にもかかわらず彼が終生変らぬ毅然《きぜん》たる進歩的信念の持主であった所以《ゆえん》も、ほぼうなずかれるはずですが、なおその上にもう一つ、彼の詩的人生観に一層の深まりや柔軟《じゅうなん》な屈折《くっせつ》を与《あた》えたものとして、彼の生れや育ちの事情も忘れてはなりますまい。イヴァン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ(I. S. Turgenev)は、一八一八年の秋、モスクワ南方の母方の領地で生れました。つまりロシア社会史の推移の上から見ると、あたかも地主貴族文化がようやく崩壊《ほうかい》し始めた時期に、彼は最も大切な精神の形成期を、ほかならぬ貴族の子弟として迎えたことになります。その運命的な契合《けいごう》は、ツルゲーネフの人生観の上にも作風の上にも、消しがたい烙印《らくいん》を押《お》しています。彼が、崩《くず》れゆく、荘園《しょうえん》貴族文化の最後の典型的な歌い手と呼ばれる所以は、じつにそこにあります。このことは、『猟人日記《りょうじんにっき》』(一八四七―五二)に始まって、『ルージン』(一八五五)、『貴族の巣《す》』(一八五八)、『その前夜』(一八五九)、『父と子』(一八六一)、『けむり』(一八六七)、『処女地』(一八七一)と続く彼の代表作の系列の中にも、もちろんその時代々々のニュアンスによる心境の推移からくる種々転調はあるものの、一貫《いっかん》して感じとられる重要な一筋の脈を成しています。
 しかも、更《さら》に立ち入って眺めると、一口に没落期《ぼつらくき》の貴族文化の最後の歌い手とは言っても、ツルゲーネフ個人にとっての生家の事情は、すこぶる特異でもあり奇怪《きかい》でもあるものでした。母親ヴァルヴァーラは三十五|歳《さい》で初めて結婚《けっこん》した、気丈《きじょう》でヒステリックで野性的な、いわば典型的なロシアの女地
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