あた》へたです、然《しか》し六十|年代《ねんだい》の思想《しさう》の影響《えいきやう》で、私《わたし》を醫者《いしや》として了《しま》つたが、私《わたし》が若《も》し其時《そのとき》に父《ちゝ》の言《い》ふ通《とほ》りにならなかつたなら、今頃《いまごろ》は現代思潮《げんだいしてう》の中心《ちゆうしん》となつてゐたであらうと思《おも》はれます。其時《そのとき》には屹度《きつと》大學《だいがく》の分科《ぶんくわ》の教授《けうじゆ》にでもなつてゐたのでせう。無論《むろん》知識《ちしき》なるものは、永久《えいきう》のものでは無《な》く、變遷《へんせん》して行《ゆ》くものですが、然《しか》し生活《せいくわつ》と云《い》ふものは、忌々《いま/\》しい輪索《わな》です。思想《しさう》の人間《にんげん》が成熟《せいじゆく》の期《き》に達《たつ》して、其思想《そのしさう》が發展《はつてん》される時《とき》になると、其人間《そのにんげん》は自然《しぜん》自分《じぶん》がもう已《すで》に此《こ》の輪索《わな》に掛《かゝ》つてゐる遁《のが》れる路《みち》の無《な》くなつてゐるのを感《かん》じます。實際《じつさ
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