感《かん》じない事《こと》が出來《でき》るです。マルク、アウレリイが云《い》つた事《こと》が有《あ》りませう。「疼痛《とうつう》とは疼痛《とうつう》の活《い》きた思想《しさう》である、此《こ》の思想《しさう》を變《へん》ぜしむるが爲《ため》には意旨《いし》の力《ちから》を奮《ふる》ひ、而《しか》して之《これ》を棄《す》てゝ以《もつ》て、訴《うつた》ふる事《こと》を止《や》めよ、然《しか》らば疼痛《とうつう》は消滅《せうめつ》すべし。」と、是《これ》は可《よ》く言《い》つた語《ことば》です、智者《ちしや》、哲人《てつじん》、若《も》しくは思想家《しさうか》たるものゝ、他人《たにん》に異《ことな》る所《ところ》の點《てん》は、即《すなは》ち此《こゝ》に在《あ》るのでせう、苦痛《くつう》を輕《かろ》んずると云《い》ふ事《こと》に。是《こゝ》に於《おい》てか彼等《かれら》は常《つね》に滿足《まんぞく》で、何事《なにごと》にも又《また》驚《おどろ》かぬのです。』
『では私《わたくし》などは徒《いたづら》に苦《くるし》み、不滿《ふまん》を鳴《なら》し、人間《にんげん》の卑劣《ひれつ》に驚《おどろ》
前へ 次へ
全197ページ中110ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング