》の第《だい》一|着《ちやく》に、ミハイル、アウエリヤヌヰチは其友《そのとも》を先《ま》づイウエルスカヤ小聖堂《せうせいだう》に伴《つ》れ行《ゆ》き、其處《そこ》で彼《かれ》は熱心《ねつしん》に伏拜《ふくはい》して涙《なみだ》を流《なが》して祈祷《きたう》する、而《さう》して立上《たちあが》り、深《ふか》く溜息《ためいき》して云《い》ふには。
『縱令《たとひ》信《しん》じなくても、祈祷《きたう》をすると、何《なん》とも云《い》はれん位《くらゐ》、心《こゝろ》が安《やす》まる、君《きみ》、接吻《せつぷん》爲給《したま》へ。』
アンドレイ、エヒミチは體裁惡《きまりわる》く思《おも》ひながら、聖像《せいざう》に接吻《せつぷん》した。ミハイル、アウエリヤヌヰチは唇《くちびる》を突出《つきだ》して、頭《あたま》を振《ふ》りながら、又《また》も小聲《こゞゑ》で祈祷《きたう》して涙《なみだ》を流《なが》してゐる。其《そ》れから二人《ふたり》は其處《そこ》を出《で》て、クレムリに行《ゆ》き、大砲王《たいはうわう》([#ここから割り注]巨大な砲[#ここで割り注終わり])と大鐘王《たいしようわう》([#ここから割り注]巨大な鐘、モスクワの二大名物[#ここで割り注終わり])とを見物《けんぶつ》し、指《ゆび》で觸《さは》つて見《み》たりした。其《そ》れよりモスクワ川向《かはむかふ》の町《まち》の景色《けしき》などを見渡《みわた》しながら、救世主《きうせいしゆ》の聖堂《せいだう》や、ルミヤンツセフの美術館《びじゆつくわん》なんどを廻《まは》つて見《み》た。
中食《ちゆうじき》はテストフ亭《てい》と云《い》ふ料理店《れうりや》に入《はひ》つたが、此《こゝ》でもミハイル、アウエリヤヌヰチは、頬鬚《ほゝひげ》を撫《な》でながら、暫《やゝ》少時《しばらく》、品書《しながき》を拈轉《ひねく》つて、料理店《れうりや》を我《わ》が家《や》のやうに擧動《ふるま》ふ愛食家風《あいしよくかふう》の調子《てうし》で。
『今日《けふ》は甚麼御馳走《どんなごちそう》で我々《われ/\》を食《く》はして呉《く》れるか。』と、無暗《むやみ》と幅《はゞ》を利《き》かせたがる。
(十四)
ドクトルは見物《けんぶつ》もし、歩《ある》いても見《み》、食《く》つても飮《の》んでも見《み》たのであるが、たゞもう毎日《まいにち》ミハイル、アウエリヤヌヰチの擧動《きよどう》に弱《よわ》らされ、其《そ》れが鼻《はな》に着《つ》いて、嫌《いや》で、嫌《いや》でならぬので、如何《どう》かして一|日《にち》でも、一|時《とき》でも、彼《かれ》から離《はな》れて見《み》たく思《おも》ふので有《あ》つたが、友《とも》は自分《じぶん》より彼《かれ》を一|歩《ぽ》でも離《はな》す事《こと》はなく、何《なん》でも彼《かれ》の氣晴《きばらし》をするが義務《ぎむ》と、見物《けんぶつ》に出《で》ぬ時《とき》は饒舌《しやべ》り續《つゞ》けて慰《なぐさ》めやうと、附纒《つきまと》ひ通《どほ》しの有樣《ありさま》。二|日《か》と云《い》ふものアンドレイ、エヒミチは堪《こら》へ堪《こら》へて、我慢《がまん》をしてゐたのであるが、三|日目《かめ》にはもう如何《どう》にも堪《こら》へ切《き》れず。少《すこ》し身體《からだ》の工合《ぐあひ》が惡《わる》いから、今日丈《けふだ》け宿《やど》に殘《のこ》つてゐると、遂《つひ》に思切《おもひき》つて友《とも》に云《い》ふたので有《あ》つた、然《しか》るにミハイル、アウエリヤヌヰチは、其《そ》れぢや自分《じぶん》も家《いへ》にゐる事《こと》に爲《し》やう、少《すこ》しは休息《きうそく》も爲《し》なければ足《あし》も續《つゞ》かぬからと云《い》ふ挨拶《あいさつ》。アンドレイ、エヒミチはうんざり[#「うんざり」に傍点]して、長椅子《ながいす》の上《うへ》に横《よこ》になり、倚掛《よりかゝり》の方《はう》へ突《つい》と顏《かほ》を向《む》けた儘《まゝ》、齒《は》を切《くひしば》つて、友《とも》の喋喋《べら/\》語《しやべ》るのを詮方《せんかた》なく聞《き》いてゐる。然《さ》りとも知《し》らぬミハイル、アウエリヤヌヰチは、大得意《だいとくい》で、佛蘭西《フランス》は早晩《さうばん》獨逸《ドイツ》を破《やぶ》つて了《しま》ふだらうとか、モスクワには攫客《すり》が多《おほ》いとか、馬《うま》は見掛計《みかけばか》りでは、其眞價《そのしんか》は解《わか》らぬものであるとか。と、其《そ》れから其《そ》れへと話《はなし》を續《つゞ》けて息《いき》の繼《つ》ぐ暇《ひま》も無《な》い、ドクトルは耳《みゝ》が[#「耳《みゝ》が」は底本では「耳《みゝ》を」]ガンとして、心臟《しんざう》の鼓動《こど
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