い》、其《そ》れから、總《すべ》て此《こ》の貴方《あなた》の病院《びやうゐん》に居《ゐ》る奴等《やつら》は、實《じつ》に怪《け》しからん、徳義上《とくぎじやう》に於《おい》ては我々共《われ/\ども》より遙《はるか》に劣等《れつとう》だ、何《なん》の爲《ため》に我々計《われ/\ばか》りが此《こゝ》に入《い》れられて居《を》つて、貴方々《あなたがた》は然《さ》うで無《な》いのか、何處《どこ》に那樣論理《そんなろんり》があります?』
『徳義上《とくぎじやう》だとか、論理《ろんり》だとか、那樣事《そんなこと》は何《なに》も有《あ》りません。唯《たゞ》場合《ばあひ》です。即《すなは》ち此處《こゝ》に入《い》れられた者《もの》は入《はひ》つてゐるのであるし、入《い》れられん者《もの》は自由《じいう》に出歩《である》いてゐる、其《そ》れ丈《だ》けの事《こと》です。私《わたし》が醫者《いしや》で、貴方《あなた》が精神病者《せいしんびやうしや》であると云《い》ふことに於《おい》て、徳義《とくぎ》も無《な》ければ、論理《ろんり》も無《な》いのです。詰《つま》り偶然《ぐうぜん》の場合《ばあひ》のみです。』
『那樣屁理屈《そんなへりくつ》は解《わか》らん。』
と、イワン、デミトリチは小聲《こゞゑ》で云《い》つて、自分《じぶん》の寐臺《ねだい》の上《うへ》に坐《すわ》り込《こ》む。
モイセイカは今日《けふ》は院長《ゐんちやう》のゐる爲《ため》に、ニキタが遠慮《ゑんりよ》して何《なに》も取返《とりかへ》さぬので、貰《もら》つて來《き》た雜物《ざふもつ》を、自分《じぶん》の寐臺《ねだい》の上《うへ》に洗《あら》ひ浚《ざら》ひ廣《ひろ》げて、一つ/\並《なら》べ初《はじ》める。パンの破片《かけら》、紙屑《かみくづ》、牛《うし》の骨《ほね》など、而《さう》して寒《さむさ》に顫《ふる》へながら、猶太語《エヴレイご》で、早言《はやこと》に歌《うた》ふやうに喋《しやべ》り出《だ》す、大方《おほかた》開店《かいてん》でも爲《し》た氣取《きどり》で何《なに》かを吹聽《ふいちやう》してゐるので有《あ》らう。
『私《わたし》を此處《こゝ》から出《だ》して下《くだ》さい。』と、イワン、デミトリチは聲《こゑ》を顫《ふる》はして云《い》ふ。
『其《そ》れは出來《でき》ません。』
『如何云《どうい》ふ譯《わけ》で。其《
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