は玄關《げんくわん》の間《ま》から病室《びやうしつ》の内《なか》を覗込《のぞきこ》んで、物柔《ものやは》らかに問《と》ふので有《あ》つた。
『何故《なぜ》ですね?』
『何故《なぜ》だと。』と、イワン、デミトリチは嚇《おど》すやうな氣味《きみ》で、院長《ゐんちやう》の方《はう》に近寄《ちかよ》り、顫《ふる》ふ手《て》に病院服《びやうゐんふく》の前《まへ》を合《あは》せながら。
『何故《なぜ》かも無《な》いものだ! 此《こ》の盜人《ぬすびと》め!』
彼《かれ》は惡々《にく/\》しさうに唾《つば》でも吐《は》つ掛《か》けるやうな口付《くちつ》きをして。
『此《こ》の山師《やまし》! 人殺《ひとごろ》し!』
『まあ、落着《おちつ》きなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチは惡《わ》るかつたと云《い》ふやうな顏付《かほつき》で云《い》ふ。
『可《よ》くお聽《き》きなさい、私《わたし》は未《ま》だ何《なん》にも盜《ぬす》んだ事《こと》もなし、貴方《あなた》に何《なに》も致《いた》したことは無《な》いのです。貴方《あなた》は何《なに》か間違《まちが》つてお出《いで》なのでせう、醜《ひど》く私《わたし》を怒《おこ》つてゐなさるやうだが、まあ落着《おちつ》いて、靜《しづ》かに、而《さう》して何《なに》を立腹《りつぷく》してゐなさるのか、有仰《おつしや》つたら可《い》いでせう。』
『だが何《なん》の爲《ため》に貴下《あなた》は私《わたし》を這麼《こんな》ところに入《い》れて置《お》くのです?』
『其《そ》れは貴君《あなた》が病人《びやうにん》だからです。』
『はあ、病人《びやうにん》、然《しか》し何《なん》百|人《にん》と云《い》ふ狂人《きやうじん》が自由《じいう》に其處邊《そこらへん》を歩《ある》いてゐるではないですか、其《そ》れは貴方々《あなたがた》の無學《むがく》なるに由《よ》つて、狂人《きやうじん》と、健康《けんかう》なる者《もの》との區別《くべつ》が出來《でき》んのです。何《なん》の爲《ため》に私《わたし》だの、そら此處《こゝ》にゐる此《こ》の不幸《ふかう》な人達計《ひとたちばか》りが恰《あだか》も獻祭《けんさい》の山羊《やぎ》の如《ごと》くに、衆《しゆう》の爲《ため》に此《こゝ》に入《い》れられてゐねばならんのか。貴方《あなた》を初《はじ》め、代診《だいしん》、會計《くわいけ
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