んないしや》もなく騎馬《きば》で行《ゆ》く。話《はなし》に聞《き》くと、何《なん》でも韃靼人《だつたんじん》の村《むら》に、其夫人《そのふじん》と、土地《とち》の某公爵《ぼうこうしやく》との間《あひだ》に小説《せうせつ》があつたとの事《こと》だ、とかと。
『へゝえ。』
とダリユシカは感心《かんしん》して聞《き》いてゐる。
『而《さう》して可《よ》く呑《の》み、可《よ》く食《く》つたものだ。又《また》非常《ひじやう》な自由主義《じいうしゆぎ》の人間《にんげん》なども有《あ》つたツけ。』
アンドレイ、エヒミチは聞《き》いてはゐたが、耳《みゝ》にも留《とま》らぬ風《ふう》で、何《なに》かを考《かんが》へながら、ビールをチビリ/\と呑《の》んでゐる。
『私《わたし》は奈何《どう》かすると知識《ちしき》のある秀才《しうさい》と話《はなし》を爲《し》てゐることを夢《ゆめ》に見《み》ることがあります。』
と、院長《ゐんちやう》は突然《だしぬけ》にミハイル、アウエリヤヌヰチの言《ことば》を遮《さへぎ》つて言《い》ふた。
『私《わたし》の父《ちゝ》は私《わたし》に立派《りつぱ》な教育《けういく》を與《あた》へたです、然《しか》し六十|年代《ねんだい》の思想《しさう》の影響《えいきやう》で、私《わたし》を醫者《いしや》として了《しま》つたが、私《わたし》が若《も》し其時《そのとき》に父《ちゝ》の言《い》ふ通《とほ》りにならなかつたなら、今頃《いまごろ》は現代思潮《げんだいしてう》の中心《ちゆうしん》となつてゐたであらうと思《おも》はれます。其時《そのとき》には屹度《きつと》大學《だいがく》の分科《ぶんくわ》の教授《けうじゆ》にでもなつてゐたのでせう。無論《むろん》知識《ちしき》なるものは、永久《えいきう》のものでは無《な》く、變遷《へんせん》して行《ゆ》くものですが、然《しか》し生活《せいくわつ》と云《い》ふものは、忌々《いま/\》しい輪索《わな》です。思想《しさう》の人間《にんげん》が成熟《せいじゆく》の期《き》に達《たつ》して、其思想《そのしさう》が發展《はつてん》される時《とき》になると、其人間《そのにんげん》は自然《しぜん》自分《じぶん》がもう已《すで》に此《こ》の輪索《わな》に掛《かゝ》つてゐる遁《のが》れる路《みち》の無《な》くなつてゐるのを感《かん》じます。實際《じつさ
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