/\》は自分《じぶん》の周圍《まはり》に、些《いさゝか》も知識《ちしき》を見《み》ず、聞《き》かずで、我々《われ/\》は全然《まるで》快樂《くわいらく》を奪《うば》はれてゐるやうなものです。勿論《もちろん》我々《われ/\》には書物《しよもつ》が有《あ》る。然《しか》し是《これ》は活《い》きた話《はなし》とか、交際《かうさい》とかと云《い》ふものとは又《また》別《べつ》で、餘《あま》り適切《てきせつ》な例《れい》では有《あ》りませんが、例《たと》へば書物《しよもつ》はノタで、談話《だんわ》は唱歌《しやうか》でせう。』
『其《そ》れは眞實《まつたく》です。』と、郵便局長《いうびんきよくちやう》は云《い》ふ。
 二人《ふたり》は默《だま》る。厨房《くりや》からダリユシカが鈍《にぶ》い浮《う》かぬ顏《かほ》で出《で》て來《き》て、片手《かたて》で頬杖《ほゝづゑ》を爲《し》て、話《はなし》を聞《き》かうと戸口《とぐち》に立留《たちどま》つてゐる。
『あゝ君《きみ》は今《いま》の人間《にんげん》から知識《ちしき》をお望《のぞ》みになるのですか?』
とミハイル、アウエリヤヌヰチは嘆息《たんそく》して云《い》ふた。而《さう》して彼《かれ》は昔《むかし》の生活《せいくわつ》が健全《けんぜん》で、愉快《ゆくわい》で、興味《きようみ》の有《あ》つたこと、其頃《そのころ》の上流社會《じやうりうしやくわい》には知識《ちしき》が有《あ》つたとか、又《また》其社會《そのしやくわい》では廉直《れんちよく》、友誼《いうぎ》を非常《ひじやう》に重《おも》んじてゐたとか、證文《しようもん》なしで錢《ぜに》を貸《か》したとか、貧窮《ひんきゆう》な友人《いうじん》に扶助《たすけ》を與《あた》へぬのを恥《はぢ》としてゐたとか、愉快《ゆくわい》な行軍《かうぐん》や、戰爭《せんさう》などの有《あ》つたこと、面白《おもしろ》い人間《にんげん》、面白《おもしろ》い婦人《ふじん》の有《あ》つたこと、又《また》高加索《カフカズ》と云《い》ふ所《ところ》は實《じつ》に好《い》い土地《とち》で、或《あ》る騎兵大隊長《きへいだいたいちやう》の夫人《ふじん》に變者《かはりもの》があつて、毎《いつ》でも身《み》に士官《しくわん》の服《ふく》を着《つ》けて、夜《よる》になると一人《ひとり》で、カフカズの山中《さんちゆう》を案内者《あ
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