了《しま》ふ。院長《ゐんちやう》は考込《かんがへこ》んでゐる、ミハイル、アウエリヤヌヰチは何《なに》か面白《おもしろ》い話《はなし》を爲《し》やうとして、愉快《ゆくわい》さうになつてゐる。
 話《はなし》は毎《いつ》も院長《ゐんちやう》から、初《はじ》まるので。
『何《なん》と殘念《ざんねん》なことぢや無《な》いですかなあ。』
と、アンドレイ、エヒミチは頭《かしら》を振《ふ》りながら、相手《あひて》の眼《め》を見《み》ずに徐々《のろ/\》と話出《はなしだ》す。彼《かれ》は話《はなし》をする時《とき》に人《ひと》の眼《め》を見《み》ぬのが癖《くせ》。
『我々《われ/\》の町《まち》に話《はなし》の面白《おもしろ》い、知識《ちしき》のある人間《にんげん》の皆無《かいむ》なのは、實《じつ》に遺憾《ゐかん》なことぢや有《あ》りませんか。是《これ》は我々《われ/\》に取《と》つて大《おほい》なる不幸《ふかう》です。上流社會《じやうりうしやくわい》でも卑劣《ひれつ》なこと以上《いじやう》には其教育《そのけういく》の程度《ていど》は上《のぼ》らんのですから、全《まつた》く下等社會《かとうしやくわい》と少《すこ》しも異《ことな》らんのです。』
『其《そ》れは眞實《まつたく》です。』と、郵便局長《いうびんきよくちやう》は云《い》ふ。
『君《きみ》も知《し》つてゐられる通《とほ》り。』
と、院長《ゐんちやう》は靜《しづか》な聲《こゑ》で、又《また》話續《はなしつゞ》けるので有《あ》つた。
『此《こ》の世《よ》の中《なか》には人間《にんげん》の知識《ちしき》の高尚《こうしやう》な現象《げんしやう》の外《ほか》には、一《ひとつ》として意味《いみ》のある、興味《きようみ》のあるものは無《な》いのです。人智《じんち》なるものが、動物《どうぶつ》と、人間《にんげん》との間《あひだ》に、大《おほい》なる限界《さかひ》をなして居《を》つて、人間《にんげん》の靈性《れいせい》を示《しめ》し、或《あ》る程度《ていど》まで、實際《じつさい》に無《な》い所《ところ》の不死《ふし》の換《かは》りを爲《な》してゐるのです。是《これ》に由《よ》つて人智《じんち》は、人間《にんげん》の唯一《ゆゐいつ》[#ルビの「ゆゐいつ」は底本では「ゐいつ」]の快樂《くわいらく》の泉《いづみ》となつてゐる。然《しか》るに我々《われ
前へ 次へ
全99ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング