めいゝ》である、殊《こと》に小兒科《せうにくわ》、婦人科《ふじんくわ》に妙《めう》を得《え》てゐると言囃《いひはや》してゐた。が、彼《かれ》は年月《としつき》の經《た》つと共《とも》に、此事業《このじげふ》の單調《たんてう》なのと、明瞭《あきらか》に益《えき》の無《な》いのとを認《みと》めるに從《したが》つて、段々《だん/\》と厭《あ》きて來《き》た。彼《かれ》は思《おも》ふたのである。今日《けふ》は三十|人《にん》の患者《くわんじや》を受《う》ければ、明日《あす》は三十五|人《にん》來《く》る、明後日《あさつて》は四十|人《にん》に成《な》つて行《ゆ》く、恁《か》く毎日《まいにち》、毎月《まいげつ》同事《おなじこと》を繰返《くりかへ》し、打續《うちつゞ》けては行《ゆ》くものゝ、市中《まち》の死亡者《しばうしや》の數《すう》は決《けつ》して減《げん》じぬ。又《また》患者《くわんじや》の足《あし》も依然《いぜん》として門《もん》には絶《た》えぬ。朝《あさ》から午《ひる》まで來《く》る四十|人《にん》の患者《くわんじや》に、奈何《どう》して確實《かくじつ》な扶助《たすけ》を與《あた》へることが出來《でき》やう、故意《こい》ならずとも虚僞《きよぎ》を爲《な》しつゝあるのだ。一|統計年度《とうけいねんど》に於《おい》て、一萬二千|人《にん》の患者《くわんじや》を受《う》けたとすれば、即《すなは》ち一萬二千|人《にん》は欺《あざむ》かれたのである。重《おも》い患者《くわんじや》を病院《びやうゐん》に入院《にふゐん》させて、其《そ》れを學問《がくもん》の規則《きそく》に從《したが》つて治療《ちれう》する事《こと》は出來《でき》ぬ。如何《いか》なれば規則《きそく》はあつても、茲《こゝ》に學問《がくもん》は無《な》いのである。哲學《てつがく》を捨《すて》て了《しま》つて、他《た》の醫師等《いしやら》のやうに規則《きそく》に從《したが》つて遣《や》らうとするのには、第《だい》一に清潔法《せいけつはふ》と、空氣《くうき》の流通法《りうつうはふ》とが缺《か》くべからざる物《もの》である。然《しか》るに這麼不潔《こんなふけつ》な有樣《ありさま》では駄目《だめ》だ。又《また》滋養物《じやうぶつ》が肝心《かんじん》である。然《しか》るに這麼臭《こんなくさ》い玉菜《たまな》の牛肉汁《にくじる》な
前へ
次へ
全99ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
チェーホフ アントン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング