せんたくをんな》も、元《もと》の儘《まゝ》に爲《し》て置《お》いた。
アンドレイ、エヒミチは知識《ちしき》と廉直《れんちよく》とを頗《すこぶ》る好《この》み且《か》つ愛《あい》してゐたのであるが、偖《さて》彼《かれ》は自分《じぶん》の周圍《まはり》には然云《さうい》ふ生活《せいくわつ》を設《まう》ける事《こと》は到底《たうてい》出來《でき》ぬのであつた。其《そ》れは氣力《きりよく》と、權力《けんりよく》に於《お》ける自信《じしん》とが足《た》りぬので。命令《めいれい》、主張《しゆちやう》、禁止《きんし》、恁云《かうい》ふ事《こと》は凡《すべ》て彼《かれ》には出來《でき》ぬ。丁度《ちやうど》聲《こゑ》を高《たか》めて命令《めいれい》などは決《けつ》して致《いた》さぬと、誰《たれ》にか誓《ちかひ》でも立《た》てたかのやうに、呉《く》れとか、持《も》つて來《こ》いとかとは奈何《どう》しても言《い》へぬ。で、物《もの》が食《た》べたくなつた時《とき》には、何時《いつ》も躊躇《ちうちよ》しながら咳拂《せきばらひ》して、而《さう》して下女《げぢよ》に、茶《ちや》でも呑《の》みたいものだとか、飯《めし》にしたいものだとか云《い》ふのが常《つね》である、其故《それゆゑ》に會計係《くわいけいがゝり》に向《むか》つても、盜《ぬす》むではならぬなどとは到底《たうてい》云《い》はれぬ。無論《むろん》放逐《はうちく》することなどは爲《な》し得《え》ぬので。人《ひと》が彼《かれ》を欺《あざむ》いたり、或《あるひ》は諂《へつら》つたり、或《あるひ》は不正《ふせい》の勘定書《かんぢやうがき》に署名《しよめい》をする事《こと》を願《ねが》ひでもされると、彼《かれ》は蝦《えび》のやうに眞赤《まつか》になつて只管《ひたすら》に自分《じぶん》の惡《わる》いことを感《かん》じはする。が、猶且《やはり》勘定書《かんぢやうがき》には署名《しよめい》をして遣《や》ると云《い》ふやうな質《たち》。
初《はじめ》にアンドレイ、エヒミチは熱心《ねつしん》に其職《そのしよく》を勵《はげ》み、毎日《まいにち》朝《あさ》から晩《ばん》まで、診察《しんさつ》をしたり、手術《しゆじゆつ》をしたり、時《とき》には産婆《さんば》をも爲《し》たのである、婦人等《ふじんら》は皆《みな》彼《かれ》を非常《ひじやう》に褒《ほ》めて名醫《
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