猶太人《ジウ》のモイセイカであるが、右《みぎ》の方《はう》にゐる者《もの》は、全然《まるきり》意味《いみ》の無《な》い顏《かほ》をしてゐる、油切《あぶらぎ》つて、眞圓《まんまる》い農夫《のうふ》、疾《と》うから、思慮《しりよ》も、感覺《かんかく》も皆無《かいむ》になつて、動《うご》きもせぬ大食《おほぐ》ひな、不汚《ふけつ》極《きはま》る動物《どうぶつ》で、始終《しゞゆう》鼻《はな》を突《つ》くやうな、胸《むね》の惡《わる》くなる臭氣《しうき》を放《はな》つてゐる。
彼《かれ》の身《み》の周《まは》りを掃除《さうぢ》するニキタは、其度《そのたび》に例《れい》の鐵拳《てつけん》を振《ふる》つては、力《ちから》の限《かぎ》り彼《かれ》を打《う》つのであるが、此《こ》の鈍《にぶ》き動物《どうぶつ》は、音《ね》をも立《た》てず、動《うご》きをもせず、眼《め》の色《いろ》にも何《なん》の感《かん》じをも現《あら》はさぬ。唯《たゞ》重《おも》い樽《たる》のやうに、少《すこ》し蹌踉《よろけ》るのは見《み》るのも氣味《きみ》が惡《わる》い位《くらゐ》。
六|號室《がうしつ》の第《だい》五|番目《ばんめ》は、元來《もと》郵便局《いうびんきよく》とやらに勤《つと》めた男《をとこ》で、氣《き》の善《い》いやうな、少《すこ》し狡猾《ずる》いやうな、脊《せ》の低《ひく》い、瘠《や》せたブロンヂンの、利發《りかう》らしい瞭然《はつきり》とした愉快《ゆくわい》な眼付《めつき》、些《ちよつ》と見《み》ると恰《まる》で正氣《しやうき》のやうである。彼《かれ》は何《なに》か大切《たいせつ》な祕密《ひみつ》な物《もの》を有《も》つてゐると云《い》ふやうな風《ふう》をしてゐる。枕《まくら》の下《した》や、寐臺《ねだい》の何處《どこ》かに、何《なに》かをそツと[#「そツと」に傍点]隱《かく》して置《お》く、其《そ》れは盜《ぬす》まれるとか、奪《うば》はれるとか、云《い》ふ氣遣《きづかひ》の爲《た》めではなく人《ひと》に見《み》られるのが恥《はづ》かしいのでさうして隱《かく》して置《お》く物《もの》がある。時々《とき/″\》同室《どうしつ》の者等《ものら》に脊《せ》を向《む》けて、獨《ひとり》窓《まど》の所《ところ》に立《た》つて、何《なに》かを胸《むね》に着《つ》けて、頭《かしら》を屈《かゞ》めて熟視《み
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