ひと》は言《い》ふてゐる位《くらゐ》。で、彼《かれ》は此《こ》の町《まち》の活《い》きた字引《じびき》とせられてゐた。
 彼《かれ》は非常《ひじやう》に讀書《どくしよ》を好《この》んで、屡※[#二の字点、1−2−22]《しば/\》倶樂部《くらぶ》に行《い》つては、神經的《しんけいてき》に髭《ひげ》を捻《ひね》りながら、雜誌《ざつし》や書物《しよもつ》を手當次第《てあたりしだい》に剥《は》いでゐる、讀《よ》んでゐるのではなく咀《か》み間合《まにあ》はぬので鵜呑《うのみ》にしてゐると云《い》ふやうな鹽梅《あんばい》。讀書《どくしよ》は彼《かれ》の病的《びやうてき》の習慣《しふくわん》で、何《な》んでも凡《およ》そ手《て》に觸《ふ》れた所《ところ》の物《もの》は、其《そ》れが縱令《よし》去年《きよねん》の古新聞《ふるしんぶん》で有《あ》らうが、暦《こよみ》であらうが、一|樣《やう》に饑《う》えたる者《もの》のやうに、屹度《きつと》手《て》に取《と》つて見《み》るのである。家《いへ》にゐる時《とき》も毎《いつ》も横《よこ》になつては、猶且《やはり》、書見《しよけん》に耽《ふ》けつてゐる。

       (三)

 ある秋《あき》の朝《あさ》のこと、イワン、デミトリチは外套《ぐわいたう》の襟《えり》を立《た》てゝ泥濘《ぬか》つてゐる路《みち》を、横町《よこちやう》、路次《ろじ》と經《へ》て、或《あ》る町人《ちやうにん》の家《いへ》に書付《かきつけ》を持《も》つて金《かね》を取《と》りに行《い》つたのであるが、猶且《やはり》毎朝《まいあさ》のやうに此《こ》の朝《あさ》も氣《き》が引立《ひきた》たず、沈《しづ》んだ調子《てうし》で或《あ》る横町《よこちやう》に差掛《さしかゝ》ると、折《をり》から向《むかふ》より二人《ふたり》の囚人《しうじん》と四|人《にん》の銃《じゆう》を負《お》ふて附添《つきそ》ふて來《く》る兵卒《へいそつ》とに、ぱつたり[#「ぱつたり」に傍点]と出會《でつくわ》す。彼《かれ》は何時《いつ》が日《ひ》も囚人《しうじん》に出會《でつくわ》せば、同情《どうじやう》と不愉快《ふゆくわい》の感《かん》に打《う》たれるのであるが、其日《そのひ》は又《また》奈何云《どうい》ふものか、何《なん》とも云《い》はれぬ一|種《しゆ》の不好《いや》な感覺《かんかく》が、常《つね》
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