いくわつ》を爲《な》して居《ゐ》る。壓制《あつせい》、僞善《ぎぜん》、醜行《しうかう》を逞《たくまし》うして、以《も》つて是《これ》を紛《まぎ》らしてゐる。是《こゝ》に於《おい》てか奸物共《かんぶつども》は衣食《いしよく》に飽《あ》き、正義《せいぎ》の人《ひと》は衣食《いしよく》に窮《きう》する。廉直《れんちよく》なる方針《はうしん》を取《と》る地方《ちはう》の新聞紙《しんぶんし》、芝居《しばゐ》、學校《がくかう》、公會演説《こうくわいえんぜつ》、教育《けういく》ある人間《にんげん》の團結《だんけつ》、是等《これら》は皆《みな》必要《ひつえう》缺《か》ぐ可《べ》からざるものである。又《また》社會《しやくわい》自《みづか》ら悟《さと》つて驚《おどろ》くやうに爲《し》なければならぬとか抔《など》との事《こと》で。彼《かれ》は其眼中《そのがんちゆう》に社會《しやくわい》の人々《ひと/″\》を唯《たゞ》二|種《しゆ》に區別《くべつ》してゐる、義者《ぎしや》と、不義者《ふぎしや》と、而《さう》して婦人《ふじん》の事《こと》、戀愛《れんあい》の事《こと》に就《つ》いては、毎《いつ》も自《みづか》ら深《ふか》く感《かん》じ入《い》つて説《と》くのであるが、偖《さて》自身《じしん》には未《いま》だ一|度《ど》も戀愛《れんあい》てふものを味《あぢは》ふた事《こと》は無《な》いので。
 彼《かれ》は恁《か》くも神經質《しんけいしつ》で、其議論《そのぎろん》は過激《くわげき》であつたが、町《まち》の人々《ひと/″\》は其《そ》れにも拘《かゝは》らず彼《かれ》を愛《あい》して、ワアニア、と愛嬌《あいけう》を以《もつ》て呼《よ》んでゐた。彼《かれ》が天性《てんせい》の柔《やさ》しいのと、人《ひと》に親切《しんせつ》なのと、禮儀《れいぎ》の有《あ》るのと、品行《ひんかう》の方正《はうせい》なのと、着古《きぶる》したフロツクコート、病人《びやうにん》らしい樣子《やうす》、家庭《かてい》の不遇《ふぐう》、是等《これら》は皆《みな》總《すべ》て人々《ひと/″\》に温《あたゝか》き同情《どうじやう》を引起《ひきおこ》さしめたのであつた。又《また》一|面《めん》には彼《かれ》は立派《りつぱ》な教育《けういく》を受《う》け、博學《はくがく》多識《たしき》で、何《な》んでも知《し》つてゐると町《まち》の人《
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