ニキタが立《た》つて待《ま》つてゐるので、直《す》ぐに着《き》てゐた服《ふく》をすツぽり[#「すツぽり」に傍点]と脱《ぬ》ぎ棄《す》て、病院服《びやうゐんふく》に着替《きか》へて了《しま》つた。シヤツは長《なが》し、ヅボン下《した》は短《みじ》かし、上着《うはぎ》は魚《さかな》の燒《や》いた臭《にほひ》がする。『屹度《きつと》間《ま》もなくお直《なほ》りでせう。』と、ニキタは復《また》云《い》ふてアンドレイ、エヒミチの脱捨《ぬぎすて》た服《ふく》を一纏《ひとまと》めにして、小腋《こわき》に抱《かか》へた儘《まゝ》、戸《と》を閉《た》てゝ行《ゆ》く。
『奈何《どう》でも可《い》い……。』と、アンドレイ、エヒミチは體裁《きまり》惡《わる》さうに病院服《びやうゐんふく》の前《まへ》を掻合《かきあ》はせて、さも囚人《しうじん》のやうだと思《おも》ひながら、『奈何《どう》でも可《い》いわ……燕尾服《えんびふく》だらうが、軍服《ぐんぷく》だらうが、此《こ》の病院服《びやうゐんふく》だらうが、同《おな》じ事《こと》だ。』
『然《しか》し時計《とけい》は奈何《どう》したらう、其《そ》れからポツケツトに入《い》れて置《お》いた手帳《てちやう》も、卷莨《まきたばこ》も、や、ニキタはもう着物《きもの》を悉皆《のこらず》持《も》つて行《い》つた。いや入《い》らん、もう死《し》ぬ迄《まで》、ヅボンや、チヨツキ、長靴《ながぐつ》には用《よう》が無《な》いのかも知《し》れん。然《しか》し奇妙《きめう》な成行《なりゆき》さ。』と、アンドレイ、エヒミチは今《いま》も猶《なほ》此《こ》の六|號室《がうしつ》と、ベローワの家《いへ》と何《なん》の異《かは》りも無《な》いと思《おも》ふてゐたが、奈何云《どうい》ふものか、手足《てあし》は冷《ひ》えて、顫《ふる》へてイワン、デミトリチが今《いま》にも起《お》きて自分《じぶん》の此《こ》の姿《すがた》を見《み》て、何《なん》とか思《おも》ふだらうと恐《おそろ》しいやうな氣《き》もして、立《た》つたり、居《ゐ》たり、又《また》立《た》つたり、歩《ある》いたり、やうやく半時間《はんじかん》、一|時間計《じかんばかり》も坐《すわ》つてゐて見《み》たが、悲《かな》しい程《ほど》退屈《たいくつ》になつて來《き》て、奈何《どう》して這麼處《こんなところ》に一|週間《しうか
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