おり、いやしくも本のひろげられる場所ならどこででも、つねづね肌身はなさず持ち歩いている『ヨーロッパ通報』〔[#割り注]当時のリベラリスティクな大雑誌[#割り注終わり]〕をあけて読んでいるという男だった。ロブィトコは服を脱いでからも、なんだかもの足りなそうな顔をして、部屋の隅から隅へ長いこと行ったり来たりしていたが、やがて従卒を呼んで、ビールを買いに外へ出した。メルズリャコーフは横になると、枕もとに蝋燭を立てて、一心不乱に『ヨーロッパ通報』を読みだした。
『一体どれだろうな、あの女は?』とリャボーヴィチは煤ぼけた天井を眺めながら考えていた。
 彼の頸筋は、いまだに香油でも塗られたような気持だったし、口のあたりはまるで薄荷水でも滴《た》らしたようにすうすうしていた。彼の想像の中にはちらちらと、藤色の令嬢の肩だの腕だの、黒服の金髪令嬢の鬢の毛だの純真な眼つきだの、そうかと思うと誰彼の腰だの衣裳だのブローチだのが、浮んだり消えたりしていた。彼はそうした幻の上に自分の注意をじっと据えてみようと努力したけれど、相手のほうではお構いなしに跳ね※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ったり、微塵に砕
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