ように、従僕の寝呆け姿が三つ、長椅子からはね起きた。やがての果てに、さらに部屋を幾つも幾つも通り抜けてから、ラッベク第二世と将校たちが小じんまりした一室へはいると、そこには球突台が据えてあった。早速ゲームがはじまった。
リャボーヴィチは勝負ごとといったらカルタのほかには一切やったことのない男なので、球突台のそばにつっ立って、勝負をしている連中の顔をつまらなそうに眺めていたが、こっちはてんでに上着のボタンを外し、両手にキューを構えて、横行闊歩したり、地口を叩いたり、何やら素人にはわからない言葉をわめいたりしていた。勝負をしている連中は彼には眼もくれず、ただたまに中の誰かが肘で彼を小突いたり、うっかりキューを彼の服に引っ掛けたりなどした時、はじめて顔を振り向けて、『pardon《しっけい》 !』と言うだけだった。最初のゲームはまだ終らなかったが、彼は早くも退屈してしまって、自分は余計者だ、邪魔なばかりだと、そんな気がしはじめた。……ふとまた広間へ帰ってみたくなったので、彼はそこを出た。
その帰りみちで、彼はちょっとした椿事に出くわすことになったのである。中途まで来て気がついてみると、方角をまちがえているらしかった。途中で例の従僕三人の寝呆け姿にお目にかからなければならないはずだということは、彼もはっきり記憶しているが、五つ六つ部屋を通り抜けても、彼らの姿は地へ潜ったか空へ翔ったか、杳として影も形もなかった。これは間違ったと気づいた彼が、少し後戻りをして、あらためて右手へ曲ってみると、今度は薄暗い書斎風の部屋へ踏み込んでしまった。さっき撞球室へ行く時には見かけなかった部屋である。ここにものの半分間ほど佇《たたず》んでから、彼は行き当りばったり眼についた扉を思い切って押しひらいて、今度は完全に真暗な部屋へはいってしまった。突当りには扉口の隙間が見え、そこからきららかな光が射し込んでいる。その扉の向うからは、もの悲しいマズルカの調べが鈍いひびきを伝えて来る。この部屋も、あの広間と同じように、窓という窓が一ぱい開け放してあって、ポプラや紫|丁香花《はしどい》や薔薇の匂いが馥郁《ふくいく》と香っていた。
リャボーヴィチは思案に暮れて立ちどまってしまった。……とそのとき、彼が思いもかけなかったことには、気ぜわしげな足音とさらさらという衣ずれの音が聞えて、息はずませた女の声が囁
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