の上に、わたしは九万と踏んばって、まんまと落したんです。桜の園は、もうわたしのものだ! わたしのものなんだ! (からからと笑う)ああどうしたことだ、皆さん、桜の園がわたしのものだなんて! 言いたいなら言うがいい、わたしが酔っているとでも、気が変だとでも、夢を見てるんだとでも……(足を踏み鳴らす)わたしを笑わないでください! うちの親父《おやじ》や祖父《じい》さんが、墓の下から出てきて、この始末を見たらどうだろう。あのエルモライが、なぐられてばかりいた、字もろくすっぽ書けないエルモライが――冬でもはだしで駆けまわっていたあの餓鬼が、まぎれもないそのエルモライが、世界じゅうに比べものもない美しい領地を、買ったのだ。そこでは親父も祖父さんも奴隷《どれい》だった、台所へさえ通しちゃもらえなかった、その領地をわたしが買ったのだ。わたしが寝ぼけてるって、ただの夢だって、……気の迷いだって。……とんでもない、それこそあなたがたの得手勝手《えてかって》な想像の、無知のやみに包まれた産物《まぼろし》なのだ。……(鍵束を拾いあげ、うっとりほほえみながら)鍵を投げてったな。もうここの主婦ではないというところを、見せようっていうんだな。……(鍵束をがちゃつかせる)ふん、まあどっちでもいい。(オーケストラの調子を合せる音がきこえる)おおい、楽隊、やってくれ、おれが聴いてやるぞ! みんな来て見物するがいい、このエルモライ・ロパーヒンが桜の園に斧《おの》をくらわせるんだ、木がばたばた地面へ倒れるんだ! どしどしここへ別荘を建てて、うちの孫や曾孫《ひいまご》のやつらに、新しい生活を拝ませてやるぞ。……楽隊、やってくれ!

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音楽がはじまる。ラネーフスカヤ夫人は椅子に沈みこんで、はげしく泣く。
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ロパーヒン (責めるように)一体なぜ、なんだってあなたは、わたしの言うことを聴かなかったんです? わたしの大事な奥さん、お気の毒ですが、今となってはとり返しがつきません。(涙ぐんで)ああ早く、こんなことが過ぎてしまえばいい。なんとかして早く、今のようながたぴしした、面白《あもしろ》くもない生活が、がらりと変ってしまえばいい。
ピーシチク (彼の腕をかかえて、小声で)この人は泣いてるよ。な、広間へ行こう、一人にしてあげたほうがいい。……行こうや。……(腕をかかえて。広間へ連れ去る)
ロパーヒン どうしたんだ? 楽隊、しっかりやらんか! なんでも、おれの注文どおりやるんだ! (皮肉に)新しい地主のお通りだ、桜の園のご主人さまのな! (うっかり小テーブルにぶつかり、枝付|燭台《しょくだい》をひっくり返しそうになる)なんでも代は払ってやるぞ! (ピーシチクとともに退場)

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広間にも客間にも、ラネーフスカヤ夫人のほか誰もいない。彼女は腰かけたなり、全身をすぼめて、はげしく泣いている。ひそやかな奏楽の音。いそぎ足でアーニャとトロフィーモフ登場。アーニャは母のそばへ寄り、その前にひざまずく。トロフィーモフは、広間の入口に立つ。
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アーニャ ママ! ……泣いてらっしゃるの、ママ? いとしい、親切な、やさしい、ママ。わたしの大事なママ、わたしあなたを愛していますわ。……わたし、お祝いを言いたいの。桜の園は売られました、もうなくなってしまいました。それは本当よ、本当よ。でも泣かないでね、ママ、あなたには、まだ先の生活があるわ。そのやさしい、清らかな心もあるわ。……さ、一緒に行きましょう、出て行きましょうよ、ねえ、ママ、ここから! ……わたしたち、新しい庭を作りましょう、これよりずっと立派なのをね。それをご覧になったら、ああそうかと、おわかりになるわ。そして悦《よろこ》びが――静かな、ふかい悦びが、まるで夕方の太陽のように、あなたの胸に射《さ》しこんできて、きっとニッコリお笑いになるわ、ママ! 行きましょう、ね、大事なママ! 行きましょうよ! ……
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[#地から2字上げ]――幕――
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     第四幕

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舞台は第一幕に同じ。ただし窓のカーテンも壁の画《え》もなく、残っている僅《わず》かの家具も一隅《いちぐう》に積みかさねられて、さしずめ売物とでもいった形。がらんとした感じがする。出口のドアのそばと舞台の裏とに、トランクや旅行用の包みなどが、積みかさねてある。左手のドアは開けはなしで、そこからワーリャとアーニャの声がきこえる。
ロパーヒンが立って、待ち受けている。ヤーシャは、シャンパンのついである小さなグラスを並べた盆をささげている。次の間で
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