ホードフが花束をもって登場。背広を着こみ、ひどくギュウギュウ鳴る、ピカピカに磨《みが》きあげた長靴をはいている。はいってきながら花束を落す。
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エピホードフ (花束をひろう)これを庭男がとどけてよこしました。食堂に挿《さ》すようにってね。(ドゥニャーシャに花束をわたす)
ロパーヒン ついでにクワスをおれに持ってきとくれ。
ドゥニャーシャ かしこまりました。(退場)
エピホードフ 今ちょうど明け方の冷えで、零下三度の寒さですが、桜の花は満開ですよ。どうも感服しませんなあ、わが国の気候は。(ため息)どうもねえ。わが国の気候は、汐《しお》どきにぴたりとは行きませんですな。ところでロパーヒンさん、事のついでに一言申し添えますが、じつは一昨日《いっさくじつ》、長靴を新調したところが、いや正真正銘のはなし、そいつがやけにギュウギュウ鳴りましてな、どうもこうもなりません。何を塗ったもんでしょうかな?
ロパーヒン やめてくれ。もうたくさんだ。
エピホードフ 毎日なにかしら、わたしには不仕合せが起るんです。しかし愚痴は言いません。馴《な》れっこになって、むしろ微笑を浮べているくらいですよ。

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ドゥニャーシャ登場、ロパーヒンにクワスを差出す。
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エピホードフ どれ行くとするか。(椅子にぶつかって倒す)また、これだ。……(得意げな調子で)ね、いかがです、口幅ったいことを言うようですが、なんたる回《めぐ》り合せでしょう、とにかくね。……こうなるともう、天晴《あっぱれ》と言いたいくらいですよ! (退場)
ドゥニャーシャ じつはね、ロパーヒンさん、あのエピホードフがあたしに、結婚を申しこみましたの。
ロパーヒン ほほう!
ドゥニャーシャ どうしたらいいのか、困ってしまいますわ。……おとなしい人だけれど、ただ時どき、何か話をしだすと、てんでわけがわからない。聞いていれば面白《おもしろ》いし、情《じょう》もこもっているんだけれど、ただどうも、わけがわからなくってねえ。あたし、あの人がまんざら厭《いや》じゃありませんし、あの人ときたら、あたしに夢中なんですの。不仕合せな人で、毎日なにかしら起るんです。ここじゃあの人のこと、「二十二の不
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