とで、それも相当たび重なっていた。多分そのせいだったろうが、女のことになるとまず極《き》まって悪く言っていたし、自分のいる席で女の話が出ようものなら、こんなふうに評し去るのが常だった。――
「低級な人種ですよ!」
 さんざ苦い経験を積まさせられたのだから、今じゃ女を何と呼ぼうといっこう差支えない気でいるのだったが、その実この『低級な人種』なしには、二日と生きて行けない始末だった。男同士の仲間だと、退屈で気づまりで、ろくろく口もきかずに冷淡に構えているが、いったん女の仲間にはいるが早いかのびのびと解放された感じで、話題の選択から仕草《しぐさ》物腰に至るまで、実に心得たものであった。いやそれのみか、相手が女なら黙っていてさえ気が楽だった。いったい彼の風貌《ふうぼう》や性格には、つまり押しなべて彼の生まれつきには、何かしら捕捉しがたい魅力があって、それが女の気を惹《ひ》いたり、女を誘い寄せたりするのだった。彼もそれは承知の上だったが、いっぽう彼の方でもやはり、何かの力に牽《ひ》かれて女の方へおびき寄せられるのであった。
 いったい男女の関係というものは、初めのうちこそ生活の単調を小気味よく破ってくれもし、ほんのちょいとした微笑《ほほえ》ましいエピソードぐらいに見えるけれど、まっとうな人間――ことにそれが優柔不断な思い切りの悪いモスクヴァ人の場合だと、否《いや》が応でもだんだんに厄介千万な一大問題に変わって来て、とどのつまりは何とも身動きのならぬ状態に陥ってしまうものである。といった事情は、たび重なる経験のおかげで、それも全くもって苦い経験のおかげで、彼はとうの昔に知り抜いていた。だのにまた胸そそられる女に出くわす段になると、せっかくの経験もどうやら記憶からずり落ちてしまって、ああ生きることだと思い、この世の一切が実にたわいもない、面白|可笑《おか》しいものに見えて来るのだった。
 さて、ある日のこと夕暮近く、彼が公園で食事をしていると、ベレの奥さんが別に急いだ気色もなく、隣のテーブルめざして近づいて来た。その表情や歩きつきや、衣裳や髪かたちなどからして彼は、相手がちゃんとした身分の婦人で、人妻で、ヤールタには初めての滞在で、しかも独りぼっちで退屈していることを見てとった。……この土地の風儀の悪さについては色々話もあるが、とかくそれには嘘八百が多いので、彼はてんから歯牙《し
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