と健康にはちきれんばかりの肩先につくづく気がついたとき、思わず両手を打ち合わせてこう口走った。――
「可愛い女だなあ!」
彼は幸福な気持だったが、あいにく婚礼当日の昼間が雨で、それから夜ふけになってまた降ったので、彼の顔からは終始絶望の色が消えなかった。
結婚ののち二人は楽しく暮していた。彼女は良人《おっと》の帳場に坐って、園内の取締りに目をくばったり、出費を帳面にひかえたり、給料を渡したりするのだったが、彼女の薔薇色の頬や、愛くるしい、あどけない、さながら後光のような微笑みは、いましがた帳場の窓口に見えたかと思うと、次の瞬間には舞台裏に現われたり、かと思うとまた小屋の食堂に現われたりで、しょっちゅうそこらにちらちらしていた。また彼女は、今じゃもう知合いの誰彼に向かって、この世で一ばん素敵なもの、一ばん大切で必要なものは何かというと、それは他ならぬこの芝居で、本当の慰めを得たり、教養あり人情ある人になる道は、芝居を措《お》いてはほかに求められない、などと言い言いするのだった。
「けどねえ、見物衆にそれが分かっているでしょうか?」と彼女は言うのだった。「あの連中の求めるのは小屋掛けの
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