えて、こっちも釣り込まれて顔をほころばせるのだったし、婦人のお客になるとついもう我慢がならず、話の最中にいきなり彼女の手をとって、うれしさに前後も忘れてこう口走らずにはいられなかった。――
「可愛い女《ひと》ねえ!」
 彼女が生まれ落ちるとからずっと住み通してきたこの家は、お父さんの遺言状には彼女の名ざしになっているものだが、町はずれのジプシー村にあって、『ティヴォリ』遊園のじき近くだった。毎ばん宵《よい》の口から夜ふけにかけて、彼女の耳には園内で奏でられる音楽や、花火のポンポン打ち上げられる音がきこえ、それが彼女には、まるでクーキンがわが身の運命と組み打ちしながら、そのめざす大事な敵――かの冷淡なる見物を攻め落とそうと、突撃の真っ最中のように思われるのだった。すると彼女の心はあまくしめつけられ、まるっきり睡《ねむ》くなくなって、やがて明方ちかく彼が帰ってくると、彼女は自分の寝間の窓を内側からそっと叩いて、カーテン越しに顔と片っ方の肩さきだけ覗《のぞ》かせながら、優しくにっこり微笑《ほほえ》むのだった。……
 彼の方から申し込みをして、二人は結婚した。そして彼は、彼女の頸筋や、ぽってり
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