ておりましてねえ」と彼女はお得意や知合いの誰彼に話すのだった。「何せあなた、以前わたくしどもでは土地の材木を商《あきな》っておりましたのですけれど、それが当節じゃヴァーシチカが毎とし材木の買い出しにモギリョフ県まで参らなければなりませんの。その運賃がまた大変でしてねえ!」そう言って彼女は、さもぞっとするように両手で頬をおさえて見せるのだった。「その運賃がねえ!」
彼女は自分がもうずっとずっと前から材木屋をしているような気がし、この世の中で一ばん大切で必要なものは材木のように思えて、桁材だの、丸太だの、板割だの、薄板だの、小割だの、木舞《こまい》だの、台木だの、背板だの……といった言葉の中に、何となく親身なしみじみした響きが聞きとれるのだった。来る夜も来る夜も、眠りに落ちた彼女の夢に現われるのは、厚いまた薄い板材が山のようにいくつも積み上げられたところ、えんえんと涯《はて》しもない荷馬車の列が材木をどこか遠く町の外へ運んでゆくところだった。夢の中にはまた、七寸丸太の長さ三十尺近くもある奴が総立ちで一個連隊ほども旗鼓《きこ》堂々と材木置場へ押し寄せてくる光景、丸太や桁材や背板が互いにぶつかり合って、腹の底までしみとおるような乾いた木の音を鳴り響かせながら、どっと倒れては起き起きては倒れ、互いに相手を足場に踏まえて積み重なってゆく有様も出てきた。オーレンカが夢のなかできゃっと声を立てると、プストヴァーロフが優しい言葉をかけてやるのだった。――
「オーレンカ、おまえどうしたのさ、ええ? 十字をお切り!」
良人の思うこと考えることは、同時にまた彼女の思うこと考えることだった。彼がこの部屋は熱すぎるとか、商売が近ごろひまになったとか考えると、彼女もそう考えるのだった。良人が物見遊山《ものみゆさん》は嫌いの性分で、休みの日には家にいるので、彼女もやはりそうしていた。
「まあ、しょっちゅうあなたはお家にばかり、でなければ事務所にばかりいらっしゃるのねえ」と知合いの人がよくそんなふうに言った。「たまには芝居へなり、ねえ可愛いあなた、それとも曲馬へなりいらっしゃればいいのに」
「わたくしどもヴァーシチカと二人には芝居見物の暇なんぞありませんのよ」と彼女は悟り澄ました調子で答えるのだった。「わたくしども自分の腕で御飯をいただいております者には、時間つぶしをする余裕なんかございませんわ。芝居なんぞどこがいいんでしょうねえ?」
土曜日になるとプストヴァーロフと彼女はきまって夜祷式に行き、祭日には朝の弥撤《ミサ》に行った。教会の帰り途《みち》はいつも仲よく肩を並べて、しんみりと感動した面もちで、二人ともいい匂いをぷんぷんさせながら歩いて来ると、彼女の絹の衣裳がさらさらと快い音を立てるのだった。さてわが家へ帰るとお茶になって、味つきパンや色んなジャムが出たあとで、仲よく|肉まん《ピローグ》に舌つづみをうつ。毎日お午《ひる》になると、中庭はもとより門のそとの往来へまで、|甜菜スープ《ボルシチ》だの羊や鴨の焼肉だののおいしそうな匂いが漂い、それが精進日だと魚料理の匂いにかわって、門前に差しかかる人は、食欲をそそられずに行き過ぎるわけにはいかなかった。事務所の方にはいつもサモヴァルがしゅんしゅんいっていて、お得意は輪形のパンでお茶の饗応にあずかった。一週間に一度、夫婦は風呂屋へ行って、帰り途は仲よく肩をならべて、二人とも真っ赤に顔を上気させていた。
「おかげさまで、結構な暮しをしておりますわ」とオーレンカは知合いの人たちに言い言いした。「有難いことですわ。どうか世間の皆さまにも、わたくしどもヴァーシチカと二人のように暮させて差し上げたいものですわ」
プストヴァーロフがモギリョフ県へ材木の仕入れに出掛けると、彼女はひどく淋《さび》しがって、来る夜も来る夜も眠らずに泣いていた。ときどき宵の口に、彼女のところへ連隊づきの獣医でスミールニンという、彼女の屋敷の離れを借りている若い男がやって来た。彼が何かと世間話をしてくれたり、カルタの相手になってくれたりするので、彼女の気もまぎれるのだった。なかでもとりわけ面白かったのは、彼自身の家庭生活の思い出ばなしだった。彼には細君もあり息子もあったのだが、細君が不行跡を働いたので夫婦わかれをして、現ざい彼はもとの細君を憎み抜いていながら、月々息子の養育費として四十ルーブルの仕送りをしていた。といった身の上話に聴き入りながら、オーレンカはほっと溜息《ためいき》をして頭をふり、この男をしみじみ気の毒に思うのだった。
「では、くれぐれもお大事にね」と彼女は、暇《いとま》を告げる彼を見送って蝋燭《ろうそく》を手に階段のところまで出ながら言うのだった。「有難うございました、おかげさまで淋しさがまぎれましたわ。ご機嫌よろしゅう、おやす
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