……寄らないでしまった。
 でそれ以来というもの、彼はもう二度とトゥールキン家の閾《しきい》をまたがなかった。

       五

 それからまた何年かが過ぎた。スタールツェフはますますふとって脂《あぶら》ぎって来たので、ふうふう息をつきながら、今では頭をぐいとうしろへ反《そ》らして歩いている。ぶくぶくに肥った赭《あか》ら顔の彼がじゃらじゃら小鈴のついた|三頭立て《トロイカ》に乗って、これもぶくぶくに肥って赤ら顔のパンテレイモンが肉ひだのついた頸《くび》根っこを見せて馭者台に坐り込み、両の腕をまるで木で作りつけたようにまっすぐ前へ突き出して、行き会う通行人に『右へ寄れよお!』とどなりながら行くところは、まことにすさまじい限りの光景で、乗って行くのは人間ではなく、邪教の神かなんぞのように思われる。彼が町にもっている患家先の数は大変なもので、ほっと息をつく暇もない有様だし、今ではちゃんと領地もあれば、町には持家が二軒もあるという豪勢ぶりだが、その上にまだ彼はもう一軒、も少し収入《みいり》のよさそうな家を物色している。で例の『相互信用組合』で、どこそこの家が競売に出ているという話を聞くと、
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