んのう》だった。要するにこの一家の人たちは、みんなそれぞれに一技一芸の持主だったわけである。トゥールキン家の人々はお客を歓迎して、朗らかな、心《しん》から気置きのない態度で、めいめいの持芸を披露に及ぶのだった。彼らの大きな石造りの邸はひろびろしていて、夏分は涼しく、数ある窓の半分は年をへて鬱蒼《うっそう》たる庭園に面していて、春になるとそこで小夜鶯《うぐいす》が啼《な》いた。お客が家の中に坐っていると、台所の方では庖丁《ほうちょう》の音が盛んにして、玉ねぎを揚げる臭《にお》いが中庭までぷんぷんして――とこれがいつもきまって、皿数のふんだんな美味《おいし》い夜食の前触れをするのだった。
 さて医師のスタールツェフ、その名はドミートリイ・イオーヌィチが、郡会医になりたてのほやほやで、S市から二里あまりのヂャリージへ移って来ると、やはり御多分に漏れず、いやしくも有識の士たる以上はぜひともトゥールキン一家と交際を結ばなくてはいかん、と人から聞かされた。冬のある日のこと、彼は往来でイヴァン・ペトローヴィチに紹介され、お天気の話、芝居の話、コレラの話とひとわたりあった後、やはり招待をかたじけのうす
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