きい》をまたぐようになった。……彼は実のところ少しはヴェーラ・イオーシフォヴナの助けになったので、彼女はもう来る客来る客をつかまえて、これこそ並々ならぬ素晴らしいお医者様だと吹聴《ふいちょう》するのだった。ところが彼がトゥールキン家へやって来るのは、もはや彼女の偏頭痛なんぞのためではなかった。……
 ある祭日だった。エカテリーナ・イヴァーノヴナは例の長ったらしい、うんざりさせるピアノの稽古を終わった。それからみんなは長いこと食堂に陣どってお茶を飲んで、イヴァン・ペトローヴィチが何やら滑稽な話をしていた。と、その時ベルが鳴った。誰かお客様だから、玄関まで出迎えに立って行かなければならない。スタールツェフはこのひとしきりの混乱に乗じて、エカテリーナ・イヴァーノヴナに向かってひそひそ声で、ひどくどぎまぎしながらこう言った。――
「後生です、お願いです、私を苦しめないで下さい、お庭へ出ましょう!」
 彼女はちょっと肩をすくめて、さも当惑したような、相手が自分に何の用があるのやら腑《ふ》に落ちかねるといった様子だったが、でも起ちあがって歩きだした。
「あなたは三時間も四時間もぶっとおしにピアノを
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