とってつけたように溜息をついて、こう言った。――
「ねえ先生、あなたはわたくしに慇懃《いんぎん》をお寄せくださる思召しがおありなさらないのね、さっぱりわたくしどもへお見えにならないじゃありませんの、どうせあなたには私なんぞもうお婆さんですものね。でもそら、若いのが参っておりましてよ。この人の方はわたくしより持てそうですわねえ」
さてその猫ちゃんは? 彼女は前よりも瘠せて、顔の色つやが落ち、それと同時に器量もあがれば姿もよくなっていた。しかしこれはもうエカテリーナ・イヴァーノヴナで、猫ちゃんではなかった。もはや以前の新鮮さも、子ども子どもした罪のない表情もなかった。その眼ざしにも身のこなしにも、何かこう今まではなかったもの――遠慮がちなおどおどした様子があって、現にこのトゥールキンの家にいながら、まるで今ではもうわが家にいる心地がしないといったふうだった。
「ほんとに幾夏、幾冬ぶりでしょう!」と彼女はスタールツェフに手をさし伸べながら言ったが、胸の動悸がはげしく打っていることはありありと見てとられた。そしてじいっと、さも物珍しげに彼の顔にみいりながら、彼女は言葉をつづけた。「まあなんてお肥りになって! 日に焼けて、大人っぽくおなりになったけれど、でも全体にはあまりお変わりになりませんのね」
いま見ても彼はこの人が好きになれた。それどころか大いに好きになれたが、しかし今ではこの人に何か足りないもの、さもなければ何か余計なものがあって――もっとも彼自身にも明らかにこれと名指すことはできなかったが、とにかく何かしらが、もはや彼に以前のような感情を抱くことを妨げるのだった。彼の気に入らなかったのは彼女の蒼白さ、むかしはなかった表情、弱々しい微笑、それから声だったが、しばらくすると今度はもうその衣裳も、彼女のかけている肱掛椅子《ひじかけいす》も気にくわなくなり、すんでのことで彼女をもらうところだった過去の記憶にも何やら気にくわぬものが出来てきた。彼はかつて四年まえにわが胸をかき乱していた自分の思慕や夢想や望みを思いだして、変にくすぐったい気持になった。
甘いドーナッツでお茶を飲んだ。それからヴェーラ・イオーシフォヴナが小説の朗読にかかって、ついぞこの人生にありようもない絵そら事を読み上げて行ったが、スタールツェフはそれに耳を傾けたり、彼女の美しい白髪あたまを眺めたりしなが
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