ばかりなので、聞いているだけでむしゃくしゃと癇癪《かんしゃく》が起きて来るのだったが、それでも沈黙を守っていた。で彼がいつもむっつり黙り込んで皿の中ばかり睨《にら》んでいるもので、町では彼に『高慢ちきなポーランド人』という綽名《あだな》を奉ってしまったが、彼としてはついぞポーランド人になった覚えはなかった。
芝居や音楽会などという娯楽からも彼は遠ざかっていたが、その代り|カルタ遊び《ヴィント》は毎晩かかさずに、三時間ぐらいずつも楽しく遊びふけるのだった。それから彼にはもう一つ別の楽しみがあって、いつとはなくだんだんそれが癖になってしまっていたが、それはつまり毎晩ポケットから診察でかせいだ紙幣を引っぱり出してみることで、日によると黄いろや緑いろのお札《さつ》が、香水だの、酢だの、抹香だの、肝油だのとりどりの匂いを発散させながら、方々のポケットに七十ルーブルから詰まっていることがあった。それが積もって何百かになると、彼は『相互信用組合』へ持って行って当座預金へ振り込むのだった。
エカテリーナ・イヴァーノヴナが立って行ってからまる四年の間に、彼がトゥールキン家を訪れたのは後にも先にもたった二度で、それも相変らず偏頭痛の療治をしているヴェーラ・イオーシフォヴナの招きがあったからであった。毎とし夏になるとエカテリーナ・イヴァーノヴナは両親のところへ帰省したけれど、彼は一度も会わずにしまった。なんとはなしに機会がなかったのである。
ところがそうして四年たってからだった。ある静かな暖かな朝のこと、病院へ一通の手紙がとどけられた。ヴェーラ・イオーシフォヴナからドミートリイ・イオーヌィチに宛てたもので、近頃はさっぱりお見えにならないので淋しくてならない、ぜひお越しくだすってわたくしの悩みを和らげて下さいまし、なおちょうど今日はわたくしの誕生日にも当たりますので、という文面だった。その下の方には追って書きとして、『ママのお願いにわたくしも加勢をいたします。ネの字』とあった。
スタールツェフはちょっと考えたが、その夕方になるとトゥールキン家へ馬車を走らせた。
「やあ、ようこそどうぞ!」とイヴァン・ペトローヴィチが眼だけで笑いながら彼を出迎えた。
「|ボンジュール《こんちわ》」
ヴェーラ・イオーシフォヴナは、めっきりもう年をとって髪も白くなっていたが、スタールツェフの手を握ると、
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