肥って、ずんぐりと横へ拡がれば拡がるほどますます情けなそうな溜息をつきながら、わが身の悲運をかこつのだった。馭者稼業に骨の髄までやられたのだ!
 スタールツェフは方々の家へ出入りして、ずいぶんいろんな人間にぶつかったが、その誰一人とも親しい交わりは結ばなかった。町の連中のおしゃべりを聞いたり、その人生観を聞かされたりすると、いやそれどころかその風采《ふうさい》を見ただけでさえ、彼はむしゃくしゃして来るのだった。経験を積むにつれて彼にもだんだん分かって来たことだが、こうした町の連中というものはカルタの相手にしたり、飲み食いの相手にしたりしているうちは温厚で、親切気があって、なかなかどうして馬鹿どころではないけれど、いったん彼らを相手に何か歯に合わぬ話、たとえば政治か学問の話をはじめたら最後、先方はたちまちぐいと詰まってしまうか、さもなければこっちが尻尾《しっぽ》を巻いて逃げ出すほかはないような、頭の悪いひねくれた哲学を振りまわしはじめるのだった。それどころか、スタールツェフが試しにさる自由主義的《リベラル》な市民をつかまえて、有難いことに人類はだんだん進歩して行くから、いずれそのうちに旅券だの死刑だのといったものは無くて済むようになるでしょう、例えばそんな話をもちかけると、その相手でさえじろりと横眼でさも胡散《うさん》くさそうに彼を眺めて、『と仰しゃるとつまり、その時はみんなが往来で相手かまわず斬《き》って捨ててもいいわけですね?』と聞き返すといった調子だった。またスタールツェフが誰かと一緒に夜食なりお茶なりをやりながら、人間は働くということが必要ですね、働かないではとても生きて行けませんねなどと話すと、相手はきまってそれを非難と取って、怒りだしながらねちねちと議論を吹っかけて来るのだった。そのくせこの連中は仕事といったら何一つ、断じて何一つしないし、また何かに興味を持つということもないのだから、それを相手になんの話をしたものやら、とんと思案がつかなかった。でスタールツェフは談話を避けて、飲み食いや|カルタ遊び《ヴィント》の方だけを専門にし、仮にひょっくりどこか往診先で、家庭のお祝いにぶつかって食事に招待されたような時でも、席について皿の中をみつめたまま、黙って口を動かすのであった。しかもこうした席で出る話と来たら、どれもこれも面白くもない、偏頗《へんぱ》で愚劣なこと
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