てがみ
アントン・チエーホフ Anton Chehov
鈴木三重吉訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お母《つか》さん

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ひねり/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 ユウコフは年はまだやつと九つです。せんには、お母《つか》さんと一しよに、ゐなかの村のマカリッチさまといふ、だんなのうちにおいてもらつてゐました。お母さんはそのうちの女中になつて、はたらいてゐたのです。そのお母さんが死んでしまつたので、ユウコフもそのお家にゐられなくなり、人の世話で、三月まへから、この靴屋の店へ、奉公にはいつたのでした。
 こよひはクリスマスの晩です。ユウコフは親方や兄弟子たちが、教会からかへつてくるまでは、どんなにおそくまでも、ねむらないで、まつてゐなければならないのです。ユウコフは一人ぼつちで、さびしくてたまらないので、戸だなから、そつと親方のインキつぼをもちだして、さきのさゝくれたペンで、しわくちやの紙へてがみをかきだしました。だれよりも大すきな、あのマカリッチのだんなへ出さうとおもひついたのです。
「コンスタンチン、マカリッチのだんなさま。」とユウコフは、くびをひねり/\かき出しました。
「だんなさまのところは、クリスマスでにぎやかでせう。神さまが、だんなさまに、どつさりいゝことを下さるやうにいのつてます。だつて、わたしには、お父つあんもお母さんもゐなくなつたから、あとは、たゞだんなさまだけです。」
 ユウコフはこゝまでかくと、目をあげて、くらい窓を見上げました。ろうそくの、くらいあかりが、ガラスにぼんやりうつッてゐます。それをじつとみてゐると、マカリッチのだんなの姿が、ありありとガラスの中にうかび上つて来ました。
 マカリッチのだんなは、年は六十五です。せいのひくい、やせた、それでゐてとても元気なおぢいさまです。いつもたのしさうににこ/\してばかりゐます。昼間は台所にねころんで、料理人をからかつたりしてゐますが、夜になると、大きな羊の毛皮の外とうにくるまつて、家畜の見まはりに出ていきます。だんなのうしろには、いつも、カシュタンカとエールといふ、二ひきの犬がついてゐます。
 今だんなはどうしてゐるかしらとユウコフは思ひました。村の教会の窓はあか/\とかゞやいてゐるでせう。だんなはうちの門のところに、フエルトの靴をばた/\させながら立つてゐて、女中たちをわらはせてゐるかもしれません。
「どうだい、一つかゞねえか。」
 だんなは、かぎ煙草の箱を女中にわたします。女中はうけとつてかいでみて、とてもうれしがつて、はッはと笑ふのでした。
「くさいだらう。あとで鼻の先をよくふくんだぞ。――おゝお、ひどく、いてつくぢやねえか。みしみし氷りつくやうだ。」
 それから、だんなは、かぎ煙草を犬にもかゞせます。カシュタンカは、鼻をクン/\ならして、にげだします。エールはむやみに尻尾をふつて、かゞせないでくれといふやうにおせじをつかひます。
 夜の空は、ふかく水色にはれて、村全たいがはつきりとうかび上つてゐます。まつ白に雪をかぶつた屋根や、煙をはいてゐる煙突やしもで銀色になつた木立などが、幻燈のやうにすんでみえます。空には、お星さまがおどけたやうにまたゝいてゐます。星の大河も、クリスマスがきたので、雪でみがきをかけたやうに、白くはつきりと光つてゐます。
 ユウコフはためいきをして、またかきつゞけました。
「きのふ、わたしは親方に頭の毛をつかまれて、うらへひきづッていかれて、ぶたれました。あかんぼのかごを、ゆすぶりながら、ゐねむりをしたからです。このまへも、おかみさんが、ニシンをあらへといつたから、しつぽのはうからあらつたら、いきなり顔を、ニシンでつきました。なぜ、ニシンをしつぽからあらつてはいけないのか、わたくしにはわかりません。
 職人は、よくわたしに、キウリをぬすんでこいつて、いひつけます。こなひだも、それを親方にめつかつて、うんとぶたれました。ぶたれるのはがまんできるが、ぶたれたあとは、きまつて、ばつに、なんにもたべさしてくれません。
 まい日たべるものは、朝はパンだけで、おひるはゴッタ煮で、晩はパンだけです。お茶やスープは、親方とおかみさんが、みんなのんでしまつて、わたしにはくれません。
 夜はお店でねます。でも、あかんぼと一しよにねかされるのだから、あかんぼがなくとねむれません。なきやむまでゆすぶつてゐなければ、ぶたれます。
 マカリッチのだんなさま、おねがひだから、わたしをまた村へつれてつてください。ほんとにおねがひです。」
 ユウコフは、口をゆがめながら、きたない袖口で目をこすり/\、泣きはじめました。
「だんなさま、わたしは、まい日
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