サこに、劇詩人としての「非凡な息《スッフル》」を感じた。

 俳優の「人間臭さ」は、しばしば、その扮する人物を「人間らしさ」から遠ける。

 クロオデルの戯曲中に現れる人物は、極めて「人間臭からざる人間」である。
 それが、最も「人間らしき人間」だと、どうして云へないだらう。
 ――その証拠に、彼等はわれわれの如く生きてゐる。
 少くとも、その時から、わたくしの心に生きてゐる。

 〔――Seigneur, que nous e'tions jeunes alors......le monde n'e'tait pas assez grand pour nous――〕
 彼は予言者であるよりも詩人だ。
 ――それでいゝではないか。

 わたくしは嘗て「芝居を書くと云ふことのうちには、芝居を観る楽しみも大方含まれてゐる」と云つた。
 クロオデルの戯曲を読んで、「クロオデルが観つゝある芝居」のユニックな魅力を感じないものがあらうか。

「我等の偉大なるクロオデル」とフランス人の或るものは云ふ。
「君等の偉大なるクロオデル」とわたくしは云ふことができる――お世辞でなく、皮肉でなく、まして見栄から
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