。家族制度の弊だ。つまり、道徳が、子に厳で親に寛である結果、親子の愛情が正しく導かれてゐない。両者の反撥は思想の相違から来るといふよりも、愛情の表示の相違から来る場合が多く、今日世間道徳の所謂孝道の執拗な鼓吹は、根本的に悲劇を含んでゐる。家族制度を維持するつもりなら、先づ親を新しく教育しなければならないだらう」
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 ところが、豈に親子の問題のみならんやである。万事がこの調子で、学校に於ける師弟の関係、町内交際の関係、警察対人民、都市の文化施設、資本家対労働者、小さくは傭主と使用人の関係、すべて、人間性の自覚と健全な道義とを無視した、一見静かには見えるが、一皮むくと恐ろしい病毒の芽が吹いてゐるのである。
 少くともわれわれの周囲では、「個人的に」はみんなそれに気がついてゐるのである。殊に、文学者は一番痛切にそれを感じてゐることを断言して憚らない。政治家と雖も、多分「個人としては」同感するに違ひない。どうして、それを公然と云はないのか。云ふ機会がないのか? 云ふと商売にならないのか?

 国民精神の作興とはなにか? 思想の善導とはなにか? 大和魂とは、日本民族の優越
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