。愛するといふことが、そのために命をさへ捧げるといふことであるとしたら。
われわれは、日本人と生れたからには、やはり、日本人のままでありたい。嘗ても云つた如く、それを恥だとも名誉だとも思はないが、ただ、それこそ運命であり、運命を運命として受け容れる気持である。私は、自分のためにも、また、自分の子孫や、自分の愛するもののために、日本が好い国になることを心から祈るものである。
われわれは、何故に、既に日本が比類のない好い国である、と信じなければならないのか。好いところもあるであらうが、このままではいけないところが随分多いことを、自分の後継者たちに教へておきたく思ふ。祖国を愛するといふ精神は、どういふところから生れて来るのか、それは為政者などが考へてゐるやうに、自分の国が一番優れてゐるといふ観念からではないにきまつてゐる。正しく物を視るのがいけないと教へ込む法はないではないか? それが危険だと思ふなら、正しく視られて差支ないやうな国にすべきではないか? 私はやつぱり、どうにもならないことを云つてゐるのであらうか?
国を憂ふるといふ言葉ほど、気恥しい言葉はないと思つてゐた私は、いま、さういふ言葉を使はなければならない破目に陥つた。文学をやつたお蔭かどうか、凡そ、しかし、文学の無力を痛感させる言葉でないか。なぜなら、私の尊敬するわが国の現代作家は、公にまださういふ言葉を使つてゐないやうである。
思ふに、そんなことを仮にも云はせない何かが、ほんたうの文学者の胸の中には燃えてゐるのであらう。残念ながら、私は、夜、床にはいつて、自分の仕事のことを考へながら、いつの間にか、ああ日本はこんなことでいいのだらうかと、つひ考へてしまふ。すると眼が冴えて寝つかれない。新聞の記事のひとつひとつが頭に浮んで、歯ぎしりをする。滑稽だと思ふが、どうにもしようがないのである。
それでもまだ、文学の領域では、個人々々の力がある程度まで伸び上つてゐるが、芝居や映画の畑になると、さうは行かない。
真面目な仕事がまつたく酬いられず、才能が自然な発達を阻まれ、いつまでたつても、近代芸術の名に値するやうな作品が現はれない。原因はどこにあるかと、みんなが、一生懸命に研究してゐる。なるほど、人物もゐない。金もない。が、真の原因は、それ以前に属してゐるのである。さういふものが生れる社会状態でないといふこ
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング