とだ。さういふものを創り出す「生活」を、国民全体がしてゐないといふことだ。要求がないところに何が出よう?
 要求がないといふのは、国民がさういふ風に育てられてゐるからだ。
 民衆に罪はない。指導者に罪があるのである。
 現代の日本は、果して文明国であらうか?

 民衆の生活には、目下、いろいろのことが欠けてゐるであらう。政治家は、先づ何を与ふべきかについて論議するであらう。政治家以外の、文化の指導的地位にあるものは、それぞれの立場から、或は、軍事思想を、或は科学知識を、或は宗教的信念を、或は処世術をと、様々な意見を提出する。何よりも先づ食を与へよといふ叫びに、眼をみはるのは当然である。
 芸術家は、何も云ふ権利はないのであらうか?
 徒らに卑俗な思想を煽る読物や興行物が、公然と芸術の名を犯して、屡々「国家的」に僭越な座席を与へられる不合理を黙視すべきであらうか? 物には程度があり、親爺の道楽も、遂に許してはおけぬといふ場合があるのである。
 かういふ問題が、ある程度まで常識の上に立たなければ、政治的イデオロギイなどは論じてみても仕方がないのではないか? いや、それよりも、民衆は、一旦、人間として眼覚めると同時に、国家が望むと否とに拘はらず、現在の政治を根本から疑ふ方向に向ふであらう。それを期待するものがあるかないかは、私が云はなくてもわかつてゐる。
 ところで、私自身は、制度の好みなどはない。制度に弊害は附きものだと思つてゐる。弊害救ふべからざるに至れば、自ら、打開の道が開けるであらう。それまでは、制度そのものよりも、弊害と戦ふべきであると信じてゐる。現制度の弊害の最も甚だしきものは、官尊民卑の風と、金力万能である。この間にも既に矛盾はあるが、その矛盾から、混濁した処世の法が生れ、民衆の清潔な愉楽が失はれるのである。道徳には何等の権威もなくなつてゐる。醜行は暗黙の裡に是認され、美挙は看板として役立つのみとなつてゐる。名士は祖先の墓参りをするだけで、涜職の罪滅しができるのである。
 これは、日本資本主義社会の珍奇な風景である。が、何主義の時代でも、こんな愚劣なヂエスチユアを嗤ふ国民がゐる筈である。
 母親が息子を殺した新聞記事が、天下を驚倒させたが、私は、人に意見を聞かれてかう答へた。
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「別に驚くことはないさ。日本ぐらゐ不心得な親の多い国はない
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