用捨なき観客
岸田國士
今日我が新劇の観客といへばどういふ人達であるか――。いづれも多くは「現在までの新劇」を標準にして「まあこれ位ならば……」といふ見当をつけて見に行く人々である。結局、今迄のものより悪くなければ、勿論我慢をしてくれ、その中からさへも、何かしら「今までのもの」より以上のものを見落すまいとしてくれる人々である。
然し、これは我が新劇の為に、存外頼みにならない観客であることを忘れてはならないと思ふ。
今此処に、或る用捨なき観客がゐて、厳正にして公平な批判の眼を、我が新劇団に加へたとしたならば、恐らく今日の新劇団の現状は、到底問題にさへならぬものであるだらう。我々はお互ひに、芝居といふものに関係してみると、現在さう厳しいことばかりもいつて居られないことが分り、腹を立てたり、軽蔑したりしてゐては、実際キリがないことが自然に呑み込めて来るのであるが、それがもう堕落の、少なくとも妥協の第一歩ではないだらうか。私は勿論、二三の新劇団の真面目な努力を認め、その将来に可なりの期待をかけてゐるのであるが、これは、それ等新劇団の内幕を見たり聞いたりして居るし、殊にそれ等の劇団と比較
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング