於ても、この「文弱」といふ尺度はしばしば適用される。第一に、平和主義、人道主義、自由主義、等々の流れを汲んだものはすべてこの範疇に入れるべきであらう。
 さて、私が思ふに、これを一般的に論じつめれば、武断的なる精神の忌み嫌ふところは、かの「文化的と称する柔弱さ」にあるのである。
 その一例として、幼年学校の教育綱領とでも云ふべきもの、中に、作文教授の方針を規定して、「小説的なるべからず」といふ一項目が掲げられてゐたことを記憶する。
 この「小説的」なる言葉の意味は所謂「軟文学」の概念から割出されたものに相違なく、勿論文体については言文一致を禁じ、心理描写や自己分析めいた記述を排し、現実暴露的な物の見方を許さぬといふことは事実であつた。
 昔と今とは幾分違ふであらうとは思ふけれど、早く云へば「近代文学」の一面が日本軍人の気質と相容れないものであると同時に、「文化」なるものゝ如何なる意味に於けるデカダンスも、真の武弁には鼻もちのならぬ現象なのだ。従つて、さういふデカダンな傾向をはらむ一切の人間的欲求に同情をもたぬ決意が、当然、今日の重々しい非常時局を形づくつてゐる原因と見て差支ない。
 社
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