」といふ札がかゝつてゐる。相当の構へをした支那風の住宅であるが、門をはひると、保安隊の巡警が歩哨に立つてゐる。
例によつて屋敷は幾棟にも分れ、食堂にあてられた一室に私は案内された。
卓子を囲んで、七八人の日本人が、賑かに食事をしてゐた。
堀内氏は何処かへ出掛けてまだ帰つて来ない。
一座の人々に紹介される。隊員のほかに、本願寺の従軍僧A氏、軍の通訳官I氏、同盟通信記者M氏、自ら「浪人」と称するW氏などである。
さう云へば、堀内氏も自分のことを「われわれ浪人もん」と云つてゐる。誰が作りだした言葉か、昔から聞く言葉であるが、これを私は、「支那に志を有する人々」の意に解しておく。
恐らく何に譬へやうもない、これら愛国的ヴァガボンドの平生について、私は些かも知るところはないが、彼等が日本を狭しとする理由は、その言動に徹して十分察せられるやうに思ふ。
政治的或は文化的領域に於ける伝統的なその役割について、私はいまこれを取りあげて論じるつもりはない。
たゞ、飽くまでも、時代の風貌をもつて、与へられた部署に活躍する性格的興味が、私をとらへて放さないばかりである。
試みに隊員の一人M氏
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