、驚いたことには、支那服の袖に黄ろい腕章をつけた一人の小柄なお婆さんが、つかつかと私のそばへ来て、日本語で、
「さあ、どうぞ……。これが局長さんです」
と、奥の卓子の向ふでいま起ち上つた詰襟黒服の、なるほどお役人らしい一人を紹介してくれた。
私は、そのにこやかな、如何にも遠来の客を迎へるといふやうな調子の挨拶をぼんやり聴いてゐた。
お婆さんは、通訳して曰く、
「よくいらしつて下さいました。ご用はなんでせうか――こぎやん[#「こぎやん」に傍点]云ひよるです[#「よるです」に傍点]たい」
そこで、私は、これに応へる代りに「はゝあ、これが有名なお婆さんだな」と思ひ、つくづくその姿、かたちを見直した。事変後保定にたゞ一人踏み止つてゐた日本婦人として、当時新聞が大々的に報道したのはこのお婆さんなのである。
「では、局長さんにかう云つて下さい。――私は保定の町が現在どんな風になつてゐるかを見に来ました。日本の国民は、何れも戦の過ぎ去つた後の町や村に、早く平和が訪れることを望んでゐますから……」
お婆さんの通訳ぶりはどうであらうか? 恐らく、言葉通りの意味を伝へてもらふわけには行くまい。し
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