佐からいろいろと参考になる話を聞かせて貰つた。
「あなたのものは、何時か汽車のなかで、『富士はおまけ』といふのを読みましたよ」
「あゝ、さうですか」
 と、私はちよつと照れて、今度戦地を訪れた自分の目的といふやうなものを簡単に述べた。M少佐はよく私の意のあるところを汲んで、できるだけ便宜を計るからと、非常な好意を示された。私は、できれば観戦武官の一行に加へて欲しいのだがと頼んでみた。
「多分いゝと思ふが、明日もう一度来てみよ」といふことであつた。
 その夜は、同船したT書記生の配慮によつて、私は英租界のタラチ・ハウス・ホテルに宿をとることができた。日本租界の宿屋は満員だといふ話を前もつて聞いてゐたのである。

     租界文化

 夜は、支那語に堪能なT書記生の案内で市中を散歩した。
 日本租界へはひり、交通巡査に一番賑かな通りは何処かと訊ねたら、かう行つてかう曲つたとこだと教へられ、われわれは植民地の銀座通りを想像しながら、暗い通りをその方角へ歩いて行つた。
 それはたしか常盤街と云つたと思ふ。なるほど人通りは目立つて多く、両側の家からは珍しく明りが漏れてはゐるが、それは、内地の所
前へ 次へ
全148ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング