の中で答へる。
 が、もう日が暮れかけて来た。
 連れて行かれたのは、清華大学教授、日本文学に精しいといふ銭稲孫氏の家である。
 この種の会見は、私の方では全く北京へ来るまで勘定に入れてをらず、従つて、質問の準備もない。第一、私は、この事変下の感情をなんと云ひ現すべきかを知らないのである。月並に、「誠に困つたことになりました」とでも云はねばならぬとすると、それは、一層困つたことである。
「初めまして……」
 と、私は日本流に挨拶した。
 銭氏の温厚君子の如き顔は、心もち緊張したやうに見えた。
「何時こちらへおいでになりましたか?」
「は、昨日……」
 と、外国人らしく私は答へた。が、何しに来たと訊かれない先に、私は、率直に、旅行の目的を述べ、北京で先生にお目にかゝれたことは、この旅行の一大収獲だとお世辞を云つた。
 やはり、なんとなく、話がしにくいのであらう。銭氏は、いく度も眼をつぶつて考へ込んだ。
「今度の事変は国民と国民との争ひではないと、両国の政府は声明してゐますが、私もそれを信じた上で今度の旅行を思ひたちました」と、私が云ふ。
「日本も支那も、この機会に、なすべきことはたゞ二つ
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