なければ、両国民の伝統的な生活感情は、種々相距る外貌をもつに拘はらず、少くとも、異性理想化の一点で、隣国に応はしい接近を示してゐると云はなければならぬ。
 まあ、この議論は将来N氏にお委せするとして、私の支那芝居見物記はこのへんで切り上げることにしよう。

     女学生の作文

 忘れようと思つても忘れられません。私達はいつ迄も七月二十七八日の爆声を記憶するでせう。
 あの日私の父は私達に言ひました。
「我々は明日は天津に避難しよう」
しかし私達は父に反対して言ひました。
「あたしは行かない。同《とも》に国難に赴くのよ」
 私達だつてやはり死にたくはありません。しかし避難[#「避難」に傍点]、この二字はどうも聞き苦しい。
 数日たつて新聞に天津の戦禍が報ぜられてゐた。
「※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]呀《ヤレヤレ》、天津に避難して行つた人はみんな死んぢやつたよ」
 と、父はこの一語を云つてニツと笑ひました。
          ×          ×
 私の家には姪が沢山にゐます。私よりたつた一つ年下の姪は或日旗行列に参加しました。彼女は一日中街を歩き廻つたので迚も疲
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